伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

『四つのフロンティア』

2014年03月24日 | エッセー

 身の程知らずの愚案を呈したい。アメリカについてである。その国家的モチベーションとは何か、“フロンティア・スピリット”から素描してみたい。
 かつてある識者(名前は失念した)が、アメリカの国家的命題は「広さの克服」にあった、と語った。アメリカで大成した鉄道も、自動車も、飛行機も、電信もすべては「広さの克服」から導出された、と。ならば、フロンティア・スピリットこそはアメリカの主旋律ではないか。かつ、これこそが他に類例を見ないこの国の属性であろう。
 まずなにより、この国自体がヨーロッパにとってのフロンティアであった。ピルグリムファーザーズはその象徴である。端っからフロンティアとして肇国された歴程に、件の属性は起源する。以下、『四つのフロンティア』に分かってみる。
 次いでこの国自身のフロンティアが「西部開拓」として現前する。これが最初のフロンティアである。ガンマンが活躍するこの国家的事業はネイティヴとの血塗られた裏面史も刻印した。そして西漸を続けたフロンティア・ラインが遂に西海岸に到達したのが一八九〇年であった。この年、国勢調査報告書に「フロンティアの消滅」と記載された。
 三年後、フレデリック・ターナーが「フロンティア学説」を発表する。「フロンティアの消滅」こそはアメリカの画期であると明言。西部開拓によって培われた逞しく快活な精神、自由の気風が民主主義を鞠育したと賞賛し、東部偏重のアメリカ史に修正を加えた。
 国土のフロンティア・ラインが消えた後、二番目に登場したフロンティアが「海外」であった。一九世紀末葉のハワイ併合に始まる二世紀に亘る太平洋戦略が中核である。これは、今なお継続中である。最高の成功事例は本邦であり、最悪の失敗事例は七五年に終結したベトナム戦争であった。この期間のフロンティア・ラインは冷戦の「鉄のカーテン」であり、「ベルリンの壁」はその抜き差しならない具象であった。
 「世界の警察官」は、この期のフロンティア・スピリットに与えられた最強の痛罵であり最上の皮肉である。二〇〇一年のアフガン紛争に際し、アメリカは「パキスタンが自由主義のフロンティア」だと呼ばわった。パクスアメリカーナを志向して止まないこの荷厄介なスピリットは、はたして如上の“ガンマン”のそれにどのように通底するものか。興味は尽きぬが、稿者の力が及ぶところではない。
 時期は重なるものの、三番目のフロンティアとして颯爽と登場したのが、「宇宙」であった。アポロ計画はその白眉であった。今はISSが主力だ。火星探索もあるにはあるが、物理的な限界が近づいていることは否めない。このフロンティアにかつての輝きは薄れた。
 西部、海外、宇宙とつづき、四番手に登場したフロンティアが「グローバリゼーション」である。インターナショナリズムとは違い、地球規模の交流、通商を指す。といえばもっともらしいのだが、実態はアメリカン・グローバリズムである。一番手にはガンマンが、二番手には原爆を頂点とする軍事技術が、三番手には圧倒的な宇宙技術が決め手となった。今度はITである。その発祥と主導が何方(イズカタ)であるかを想起すれば、すぐに判る。終焉、挫折、衰退する前三者に代替するパクスアメリカーナの切り札である。これは今も未完成だ。そこで、極めて示唆に富む洞察を紹介したい。内田 樹氏はこう述べる。
◇経済のグローバル化が完成するためには、世界市場が単一の言語、単一の通貨、単一の度量衡、単一の商習慣によって統合されていることが必要です。世界中の人々が英語を話し、ドルで売り買いし、同一の商品に欲望を抱き、「金があるやつがいちばん偉い」という価値観を共有する時に初めて経済のグローバル化は完成する。でも、それはまだ完成していない。と言うのも、それを阻む巨大な障壁が存在するから。それが、イスラーム圏なのです。西はモロッコから東はインドネシアにわたる人口十六億の巨大なイスラーム圏が存在するわけです。そこでは、同一の宗教儀礼が守られ、同一の儀礼の言語が語られ、同一のコスモロジー、同一の人間観が共有されている。アメリカン・グローバリズムが提案する人間と社会のありようとまったく異質な人間と社会のありようを掲げる十六億の集団が今地上に存在するんです。それも極めて同質性の高い集団が。これは正直、グローバリストにとっては大いなる脅威だと思います。本気でグローバル化を完成させ、本気で世界をフラット化しようと思ったら、イスラーム圏は潰すしかない。イスラーム圏を無力化しない限り、グローバル化、つまり「パックス・アメリカーナの半永久化」は実現できないことがなんとなくわかっている。だから、どうしてもイスラーム圏は解体しなければならない。そういう意識が働いているのではないかと思います。◇(内田 樹&中田 考「一神教と国家」集英社新書、先月刊)
 グローバリゼーションに立ちはだかる分厚い壁がイスラム圏である。これは意表を突く達識である。アメリカ自身がその脅威を「なんとなくわかっている」からこそイスラーム圏への介入を繰り返すのではないか。その存在は世界の単一化に対するダイバーシティからのアンチテーゼともいえる。パクスロマーナほど、パクスアメリカーナは容易くはない。
 二〇世紀がアメリカの世紀であったことは論を俟たない。幾度となく眼前するフロンティアがモチベーションを駆動した。長遠な人類史にくっきりと刻まれた足跡だ。はたして五番目のフロンティアはあるのか、ないのか。もはや外在的なものでないことだけは確かだ。 □