伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

アポロ捏造説を諭す

2014年03月29日 | エッセー

 鬼の首でも取ったようだが、どっこい掴んだのは鬼の目刺しやもしれぬ。鬼が住むか蛇が住むか、まことに心中は計りがたい。
 先日BSNHKで、アポロ11号捏造説(広く6回のミッションすべてに対しても)の検証をしたらしい。今まで十指に余る疑惑に対して、一々に回答がなされてきた。それらをまたしても蒸し返したのであろう。水掛け論を超えて、なにやら神学論争じみてきた。稿者は都市伝説の一種であろうと去なしてきたが、友人に因業な伝説の語り部がいて難儀をしている。この際だから蒙を啓きたいのだが、あの石頭には歯が立たぬかもしれない。徒労を覚悟で一席……。
 ああ言えばこう言う、の場合はトポスを変える(科学・技術的論点から離れる)に如くはない。先ずは疑惑の出所だ。
 72年に17号がミッションを果たしてアポロ計画が終焉した2年後、捏造説が自費出版された。出したのはキリスト教の原理主義団体である「平面地球協会」であった。名前の通り、地球は球体ではなく平面であるという。聖書を解釈すると、そうなるそうだ。天動説も真っ青だ。
 如上の宗教的確信(パラノイア?)、世界観から導出されたという出自を参酌すべきだ。先ほど水掛け論だといったが、正確には言い掛かりであった。後は、人は見たいようにしか見ないの伝である。「プロクルステスの寝台」のように、寝台に合わせて旅人の身体が伸縮されるだけだ。
 アポロ計画は冷戦下、宇宙開発競争でソ連の後塵を拝したアメリカが打ち出した巨大プロジェクトであった。61年にアメリカ大統領ジョン・F・ケネディが、60年代中に人間を月に送り込むと大逆転を宣し、69年に実現させたものだ。だから疑義を呈するとしたら、最大のライバルであったソ連のはずだ。鵜の目鷹の目でサーベイランスを繰り返していたにちがいない。しかし彼の国からのオブジェクションは寡聞にして知らない。要するに、ない。これは一体何を意味するか。最強の敵は沈黙することで敗北を、すなわち相手方の勝利と『成功』を認めたのだ。もっともアメリカ・ソ連共謀説、共同捏造説を唱える向きもある。これは、もはや病膏肓に入るである。プロクルステスも真っ青だ。
 次に入費である。総額は約20兆円といわれる。関空20個分の建造費に相当する。どれだけハリウッドのスタッフがアリゾナに繰り出して撮影しても使い切れない額だ。ハリウッド映画史上最高額といわれる『ウォー・オブ・ザ・ワールズ』(2005年公開)でさえ、製作費は2200億円である。桁違いの鳥目とはいえ、アポロに比すれば目腐れ金だ。もし20兆円のほとんどが執行されず、あるいは流用されたとしたら、絶大な権限をもつアメリカ会計検査院が黙っているはずがない。アポロじゃなくて、大統領の首が飛ぶ。子供にだって解る理屈だ。
 上記2点で鬼の目刺しは充分知れるだろうが、実は返し技を喰らう恐れもある。寝台と旅人は入れ替え可能だし、予算だってその気になれば国係りで辻褄合わせはできる。だが鬼が住むか蛇が住むか、その心中に絡もうという寝技だけは返しを喰らう心配はない。だから、寝技だ。
 あからさまにいうと、疑って掛かるのは生産的ではないということだ。斜に構えられて、モチベーションが上がるはずはない。つまりはそういうことだ。誰だって心中、鬼も住めば蛇も住む。だからといってみんな鬼にしてしまっては身も蓋もなかろう。
 内田 樹氏の洞見を援引したい。
◇例えば、クラスに、級友がどんなにちゃんとした行為をしても、立派なことを言っても、「どうせ利己的で卑しい動機で、そういうことしてるんだろう」と斜めに構えて皮肉なことばかり言う人がいたとしますね。そういう人はたぶん自分は人間の「行為」ではなく、「本質」を見ているのだと思っているのでしょう。でも、世の中が「そういう人」ばかりだったら、どうなると思いますか。たしかに、どのような立派な行為の背後にも卑劣な動機があり、どのような正論の底にも邪悪な意図があるということになれば、世の中すっきりはするでしょう。「人間なんて、ろくなもんじゃない」というのは、たしかに真理の一面を衝いてはいますから。でも、それによって世の中が住み易くなるということは起こりません。絶対。だって、何しても「どうせお前の一見すると善行めいた行動も、実は卑しい利己的動機からなされているんだろう」といちいち耳元で厭らしく言われたら、そのうちに「善行めいた行動」なんか誰もしなくなってしまうからです。もう、誰もおばあさんに席を譲らないし、道ばたの空き缶を拾わないし、「いじめられっ子」をかばうこともしなくなる。誰も「いいこと」をしなくなる社会が住みよい社会だとぼくは思いません。全然。それよりは少数でも、ささやかでも、「いいこと」をする人がいる社会の方が、ぼくはいいです。その「いいことをする人」が「本質的には邪悪な人間」であっても、とりあえずぼくは気にしません。◇(「若者よ、マルクスを読もう」から)
 万が一、件の捏造が証明されたとして人類史的向上にどれほどの貢献が刻まれるであろうか。「世の中すっきりはするでしょう」が(その向きの論者には)、「人間(=アメリカ)なんて、ろくなもんじゃない」という「真理の一面」は明らかになっても、「それによって世の中(=世界)が住み易くなるということは起こりません。絶対。」だから、「とりあえずぼくは気にしません」でいいのではないか。なにせ、アポロが月に行っていなかったとして、脳梗塞、心臓発作、または発狂、倒産などの実害を被る人は地球上には一人もいないはずである(おそらく)。ならば、アメリカが威風堂々と人類の先駆けに『気持ちよく』任じてくれる方がどれほど世界的受益が大きいか。前稿に書いた通り、アメリカ第三のフロンティアを徒や疎かにしてはなるまい。四つの内、唯一世界と共有できるフロンティアなのだ。
 くどいが、万が一、である。そう仮定したのは、「寝技」である以上倒れ込まねば始まらないからだ。稿者自身は捏造説に組みするつもりは寸毫もない。
「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。」
 この周到に用意されたニール・アームストロング船長の一声(イッセイ)は、今も耳朶を離れない。青春に極まり高鳴った夢と人類の「偉大な飛躍」が鮮やかにシンクロナイズした刹那だった。嘘のはずがない。だって一生騙されても悔いのない嘘が、嘘のはずがない。 □