伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

「捕まって」??

2014年03月07日 | エッセー

 一目散に逃げる泥棒に「こら、待て!」と呼ばわっても、待つはずはない。待てない事情があるからだ。無理な注文はほかにもある。
 千葉県柏の事件でもそうだった。マイクを向けられた近隣住民が、一様に「早く捕まってほしい」「早く捕まってくれないと心配」などと応えていた。
 これもおかしくはないか。「早く捕まえてほしい」「早く捕まえてくれないと心配」と言うなら解る。下手人は捕まりたくないから逃げている。なのに「捕まってください」とお願いして、どうする。自首を勧めているととれなくもないが、コンテクスト上無理がある。第一、ことばが違う。冒頭の「こら、待て!」のほうが、まだ理に適う。「待つ」のが誰だか明確だ。ところが、「捕まって」は不得要領だ。犯人が「捕まる」が転じて「捕まって」となったものか。「捕まえられてほしい」が真意だろうが、約め方がぞんざいで受け身表現に聞こえる。なにより事が事だけに、「捕まる」とくれば主客はこの上なく明確だ。捕方と咎人、その二つきりだ。このタイマンがちんこに近隣住民が割り込む余地はない。だから犯人の親かなにかが「捕まってくれ」と懇願するのならまだしも、周辺的被害者である住民が「捕まってください」はないだろう、という話だ。
 あるいは穿てば、ネガティブ・ポライトネス(距離を措くことで消極的な慎ましさを示す礼儀)の亜流ではないか。もちろん相手は警察だ。「ご注文はこれでよろしかったでしょうか」の類だ。客席に運んできたのは只今なのに、テンスを過去にずらす。時間的に距離を措いて遠慮がちに問いかける。これもネガティブ・ポライトネスといえる。お上に気が引けて、「捕まえてくれ」とは言い辛い。言い淀んだ末に、中途半端に距離をとった。それではないか。
 さらに、関西芸人が多用する「嫁」。お笑い芸人の跋扈とともに全国的になりつつある。妻をそう呼ぶ。その意味もあるにはあるが、まずは舅、姑が使う呼び名であろう。または嫁が舅、姑を「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼ぶ。これは一般的だ。家制度が崩れて、かつてのように「おとう(義父)さん、おかあ(義母)さん」は廃れてしまった。どちらもトポスをずらす。前者は舅姑に、後者は孫に。それで尺を稼ぐ。ネガティブ・ポライトネスと同工異曲といえなくもない。それにつけても、「捕まって」である。よりによって咎人にまでトポスを移すことはあるまい。
 無理も通れば道理になる。そうはいっても、「捕まって」は無理筋であろう。まさか平成の人生幸朗を気取っているわけではない。なにせ、責任者がいそうにない。難儀なことだ。
 ヤツは署へ向かう時、「チェックメイト!」と呼ばわった。どうにもならない、詰め切られた局面を、チェスでそういうらしい。「捕まって」しまったことをそう言ったのだろうか。しかしいまだ真相も深層も捕まえられてはいない。 □