伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

2008年6月の出来事から

2008年07月06日 | エッセー
■ 男子バレーボール北京五輪へ
 世界最終予選兼アジア大陸予選でアジア1位が確定、16年ぶりの五輪出場が決まった(7日)

  ―― 喜びの表現にもいろいろある。ふつうは、跳び上がる。しかし、これには参った。決まったその瞬間、上田監督は東京体育館のコートに背広姿の巨体を俯した。人類の奇態を初めて観た。「天にも昇る心地」というが、「地にも臥す心地」というのもあるのだ。もちろん本人は考えてのことではない。とっさの反応であろう。並なガッツポーズより、よほどに気が利いている。
 五大会目の五輪。ぜひ、北京理工大学体育館のコートでもうっぷしてほしい。

■ 東京・秋葉原で無差別殺傷、7人死亡
 歩行者天国で25歳の男がトラックで通行人をはねた後、周りの人をナイフで次々と刺した(8日)

  ―― 介抱していた通行人が刺され、刺されなかった通行人がその模様をケータイで撮っている。まことに奇っ怪な図である。おそらく写メールで『配信』されたにちがいない。
 写真家で作家の藤原真也氏は朝日新聞のインタビューで次のように語った。

 〓映像が凶器の無理心中
 今回の通り魔事件が過去のそれと異なるのは、犯行が即時にネット配信され、映像がテレビやインターネットに流れたことだ。
 ネットやケータイが日常化し、私たちは映像が凶器となり、そして無差別なプロパガンダになる時代を生きている。
 アキバのホコ天は当時「ハレ晴レユカイ」踊りやその他のパフォーマンスで騒乱のピークに達し、ケータイやカメラやビデオを持った若者がそれに群がるという構図があった。彼はそれらの映像機器が事件に群がることを期待していたはずだ。そのことは犯行時の異常行動に表れている。
 彼は人をはね、わずか数十㍍で止まり、車から降りて、小走りに引き返している。大量殺人が目的なら、800㍍はある歩行者天国を車で突っ切っていけばいい話だ。だが、彼は人垣ができて、ケータイやカメラが群がり始めた群衆の中に、捕まるリスクを冒して突っ込んでいる。映像機器の目にさらされることを意識した行動だと思う。
 事件をテロとみる人もいるが、僕は「心中」の色合いを感じてしまう。いわゆるネットつながりで、同類他者が集まって練炭や硫化水素で心中するのと同じように、加藤容疑者は自分と同類の人々がいると思い込む秋葉原に行って無理心中しようとした、と。〓 
 
 さらにその背景として、「派遣」の問題を取り上げる。
 〓終身雇用、年功序列という日本型の企業形態がアメリカ型の成果主義に変わり、正社員でさえ就労環境が非常に冷たいものになってきている。
 同じくそのアメリカが日本に企業進出する際に、若者の労働を「資源」と見なし、圧力をかけ、派遣社員制度制定の端緒をつくったわけだ。人をモノのように扱う戦前の「人買い」のような制度がのうのうとこの民主主義の時代に闊歩している不思議を、僕は何年も前から言及してきた。秋葉原で多くの犠牲者が出て、はじめて見直し論が出るというのは「剣はペンより強し」という逆転であり、忸怩たるものがある。
 若者の犠牲と不幸の上に立って国内総生産を維持する国というのは一体何か。アメリカモデルからの脱却という根本的な指針を、行政にあずかる者はそろそろ持つべき時代に来ている。(6月30日)〓
 鋭い洞察である。このような事件が起きた場合、原因を個人に特化して事足りてはいけない。たとえ微細であろうとも自らも背景の一角を占めていることを忘れるわけにはいかない。同日、同紙の「ポリティカにっぽん」は綴った。

 〓彼の鬱屈は自己責任なのか社会構造の問題なのか、若者はかつかつの暮らしで恋人もできない、高齢者は裕福、いまの日本社会は「おかね」の配分が不公平なのではないか、いやいや、貧しくやっと生きている高齢者もいるよ、それにしても生きていくうえの「尊厳」が奪われているのではないか、アキバととげぬき地蔵(東京・巣鴨、「おばあちゃんの原宿」と呼ばれる)とは「世代間闘争」の関係にあるのかどうか、いったい希望はどこにあるのか。連帯か、革命か、それとも戦争か? そんな議論に引き込まれて、私は茫然とする。高齢者は「ワラビ衆の寂しさ」(棄老)にさいなまされ、若者は「閉ざされた蟹工船」のなかでもがきつづける。平和と平等をめざした繁栄日本が行き着いたのは、マルクスが予言した、人間が人間らしく生きられない「人間疎外」の現実だったのか。〓

 ただ「疎外」の要因はマルクスの考察とは外れたが、蟹工船と姥捨て山は形を変えて現代に復活したのかもしれない。
 彼が働いていたトヨタ自動車系の自動車生産会社、関東自動車工業の東富士工場(静岡県裾野市)では、6月29日、人員削減が始まった。世界の車生産トップのトヨタ。その傘下企業でも減産に追い込まれている。国内はもちろん、米国市場でさえもシュリンクしてきている。今後は、日本の十八番である小型車の生産も海外に移るであろう。産業構造も大きなターニングポイントを迎えようとしている。その大きなうねりの中に彼もいた。
 事件の翌日、東京の娘から電話があった。弔いに現場に行くという。ああいうことは連鎖反応を呼ぶ。ほんとに行くのなら兜を被り鎧を着込んで行け、と返事した。1時間ほどして、いま戻ったとの知らせがあった。

■ アイルランドが欧州連合(EU)新基本条約否決
 EUの政治統合を進める「リスボン条約」の批准を国民投票で否決(13日)

  ―― EUは人類史を画す壮大な挑戦である。一区切りついた経済統合から政治統合へ踏み込もうとした矢先の蹉跌である。
 意思決定を迅速・簡素化し、大統領職を置き、外務大臣ポストを設ける。その他、行政機構のスリム化を図って機構を改革する。そのような目論見は一端潰えた。EU5億の人口のうち、1%にも満たない小国のオブジェクションであった。
 国家を超える枠組みでどう民意を汲み上げるか。「民主主義の赤字」の端的な表出であろう。ともあれ、産みの苦しみだ。陰ながら、そのどちらにもエールを送りたい。

■ 岩手・宮城内陸地震が発生
 岩手県南部を震源とする地震で、宮城県栗原市や岩手県奥州市で震度6強。土砂崩れなどで死傷者が出た(14日)

  ―― 養老孟司氏の言。  
 〓「自然」という言葉がそれを一番よく表しています。「自然食品」とか「自然保護」とか、いい意味で使われるでしょう。でも、今回の中国の地震も、まさに自然。自然はいいもの、と決めつけるのはおかしいんです。都市化が行き過ぎたので、それを戻そうという気持ちが「自然回帰」に表れているのでしょうが、どちらにしろ、人間の都合で物事を考えていることに変わりはない。いまの人は、中立的な自然というものを観察しようという気がなくなっています。〓
 「中立的な自然」に関していえば、岩手・宮城地震を取り上げたNHKクローズアップ現代の国谷祐子女史が「自然の猛威から身を守る」という言い方をしていた。別におかしくはないのだが、「猛威」が気にかかる。自然には自然の生理があって、それの儘に動く。プレートが鬩(セメ)ぎ合いエネルギーが飽和すれば、やがて羨溢する。間尺が違いすぎて人知が及ばないだけだ。「人間の都合」など通用する相手ではない。端(ハナ)っから対決は不能なのだ。人間は『間借り人』の分を超えてはいけない。
 今回の震源付近には北上低地西縁断層帯という活断層があることが判っていた。国の地震調査委員会は最大でM7・8の地震を起こす可能性があると予見。ただし、向こう30年以内の発生はほぼ0%としていた。阪神大震災でも30年以内の発生確率は0・4~0.8%の予測であったという。ことはそれほどに難しい。
 幸い亡くなった人はいなかったものの重傷者を出したマイクロバス。崩れた土砂に押されて沢を滑落、30㍍ほどのところで木に引っ掛かって転落を免れた。自然保護団体「胆沢ダム水資源のブナ原生林を守る会」のバスだった。なんとも皮肉な話ではないか。自然を守るつもりが逆に襲われ、助けてくれたのも天然、自然の木だったとは。
 次に、評論家の加藤周一氏の言。
 〓「地震、かみなり、火事、おやじ」。
 この俚言は単なる列挙ではない。前半は「地震」と「かみなり」、人間の何らかの影響力が全くない二項目。後半は「火事」を媒介としてある程度まで人間の介入が可能な火、そこからまったく人間社会の現象である「おやじ」に飛躍する。わずか四項目の列挙とみえて、実はその背景に鋭い社会批判と巧妙な諧謔の味を隠す。(中略)
 「自然災害」というもの、誰も責任をとる必要のない災害というものが、しばしばあるだろうか。信州の浅間山は活火山で、ある条件の下で時々爆発する。そのために登山者が一人、噴き出した岩に打たれて死んだとする(そういうことは今でもある)。爆発そのものはもちろん自然現象である。しかし登山者の死は、少なくともある程度まで、自然現象に対して人間側が(個人または社会が)とった態度と関係していたはずである。火山の測候所は爆発の予想を誤ったのかもしれない。登山者は測候所の適切な警告を無視していたのかもしれない。多くの場合が考えられるが、それに応じて多くの責任が考えられるだろう。一火山の登山者の比較的単純な場合でさえ然り。いわんや阪神・淡路の震災のように複雑な場合において、誰の、どの組織の、どういう責任がどこへ行ったのか? そもそも「自然災害」という言葉は、災害の裏に責任のある人間が担ぎ出す神話にすぎないとさえ思われる。(6月21日付、朝日新聞「夕陽妄語」から)〓
 要路の人びとには肝に銘じてほしい重い言葉だ。

■ 拉致問題再調査で日朝合意
 北朝鮮が再調査を約束し、よど号事件関係者の引き渡しに向け調整することで合意したと日本政府が発表。日本は経済制裁の一部緩和へ(13日)

  ―― 6者、特に米国とのプライオリティー・ギャップを押さえておく必要がある。ファースト・プライオリティーは核だ。かつターゲットは日本以外ない。さらに『王朝』はそう容易くは崩れない。

■ 居酒屋タクシー問題で政府が公務員33人を懲戒処分
 17省庁・機関の1402人が金券やビールなどの提供を受けていたと発表(25日)

  ―― 本年4月26日付本ブログ「『四権』?国家」を参照されたい。もはや語るに足る話柄ではない。

■ 電気料金が来年大幅値上げへ
 東京電力は、燃料費の上昇が従来以上に料金に反映されるよう計算の仕組みを改定すると発表(26日)。関西電力なども追随(27日)

  ―― 東京電力をはじめ電力各社は、今年はいったん値下げする。これは「裏技」だそうだ。値下げは公聴会も国の認可も不要だ。値上げには双方とも必要となる。揉め事は回避したい。料金制度では、1.5倍までは燃料費の高騰分を自動的に料金に上乗せできる。そこで、まず設備費や経費を削ってコストを減らして値下げしておくと、料金に転嫁できる金額の上限を高くできるという訳だ。
 そんな知恵があるのなら、ホンモノの値下げに使ってほしい。法律の裏はかけても、庶民の裏はかけぬと知り給え。 
(朝日新聞に掲載される「<先>月の出来事」のうち、いくつかを取り上げました。見出しとまとめはそのまま引用しました。 ―― 以下は欠片 筆)□


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