伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

電話もできるケータイ?! 

2008年07月30日 | エッセー
 今のケータイが3年になる。そろそろ買い替えようかと、カタログを取り寄せた。あるわ、あるわ、機能のオンパレードだ。
 まず、現在利用できる機能を列挙してみる。

◆通話 …… 携帯電話である以上、当然である。
◆メール …… 調査によると、通話以上に使用頻度が高い。中身も ―― 文字のみ / 顔文字・絵文字を使う / 写真を添付 / デコレーション機能を使う / 動画を添付 / これらの合わせ技 / さらに応用編として、地域情報のメール配信など、多彩である。
◆カメラ …… デジカメと比して遜色はない。あとは手振れ防止が付くかどうか。
◆ムービー …… 録画だけではなく、メールで送ることもできる。
◆アラーム …… 目覚ましだけではない。用件を表示し、電話までかけるものもある。
◆アドレス帳 …… アドレスだけではない。電話番号、メルアド、勤務先その他、写真まで。巨大なデータベースを持ち歩いていることになる。
◆電卓 …… 「卓」は卓上。それが掌上になった。
◆スケジュール帳 …… もちろんアラームとの合わせ技もできる。
◆ゲーム …… 多様なアイテムが用意されている。病院の待ち時間などにはもってこいだ。
◆ワンセグ …… テレビの持ち歩きである。しかもデジタル。
◆メモ帳 …… 入力は面倒だが、メモ帳自体を忘れることはまずない。音声メモなら最速の備忘録になる。
◆インターネット …… これは実に多機能だ。ネットでできることはほとんど可能。ショッピング、オークション、オンライントレードもできる。特に、財布替わりの決済機能 / モバイルバンキング / 乗り換え案内 / GPS機能などはケータイの独壇場だ。さらにケータイ小説 / 楽曲のダウンロード / ウォークマン機能、さらには映画のダウンロードと視聴も可能だ。(現段階では、PCにダウンロードしたものを取り込んで使う)
◆PCソフトの閲覧 …… いまのところMSのワード、エクセル。そのうち入力も可能になるかもしれない。
  この他にもあるだろうし、この先増えるにちがいない。望みたいのは、高齢化に対応した音声入力、読み上げ機能とディスプレイの飛躍的発展だ。

 「すべての道はローマに通ず」を誤用すると、『すべての情報はケータイに通ず』である。もはや「携帯電話」から、「ケータイ」という名の情報末端となりつつある。これほどメタモルした機械はざらにない。冷蔵庫に冷凍庫が付いたのとはわけがちがう。電子レンジも炊飯器も、掃除機、洗濯機、おまけにエアコンまで、白物家電をひとまとめにしたようなものだ。いや、それでも言い足りない。なんでもござれのお手伝いロボットに変身したといってもいい。そのうち、「へぇー、ケータイって電話もできるんだ!」となるかもしれない。
 5年前、「ケータイを持ったサル」(正高信男著 中公新書)が話題になった。ケータイに視点を当てて現代に生きる人たちを斬ったのだが、今では『竹光』に等しい。このマシン、機能の進化はもとより、「衣食住」の衣のレベルに等しいほど生活に食い込んでいる。着る着ないの問題は疾うに通過している。TPOによってなにを着るか、どう着こなすかを論ずる段階だ。
 さきごろ、ケータイ人口は1億人を突破した。幼児以外一人に一台、プライベイト・フォンの時代である。今やケータイを持たない人は「ケッタイ」(ケータイの駄洒落、失礼!)な人といわれる。いや、世の動きに「懈怠(ケタイ)」(これも駄洒落、また失礼!)を決め込む人か。それとも、「形態」(またもや駄洒落、重ねて失礼!)にこだわらず我が道を征く人か。
 
 カタログを閉じて、ふと浮かんだ。「電話もできるケータイ!」 うん、なかなかいいコピーだ。「ケータイ(携帯)できる電話」から長足の進歩。 …… ところで、買い替えはどうする。もうひとつピンとくる品物がない。やはり、「下手の道具調べ」か。 □


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