伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

「緊急」とはなにか?

2021年07月11日 | エッセー

 後手後手批判を意識したのであろう。スッカスカ君は4度目の発出に際しての記者会見で「先手、先手」にえらい力を入れた。
 ならば、物申そう。「緊急」とは『先手』で出すものではない。緊急とは現存する悪しき事態を指す言葉だ。すでに眼前する既存の出来事を言う。
 岩波国語辞典 第八版には、〈事が重大で、その対策などが急がれること。「事は緊急を要する」「緊急動議」〉とある。
 コトバンクにも、〈① 糸や弦などを強く張ること。また、性格、気性などがゆるみなくきびしいこと。② 事が重大で、急ぐ必要のあること。また、そのさま。〉とある。緊急発進(スクランブル)がそれだ。想定される事態を意味する言葉ではない。現存する事態を指す言葉だ。災害警報でいえば、すでに発災している最高レベル「緊急安全確保」に相当する.。
元々が「緊急」とは後出しするものなのだ。
 緊急事態宣言の根拠法は平成24年に成立した「新型インフルエンザ等対策特別措置法」である。法文の名称にも緊急の二文字はない。この法に「緊急」が初出するのは昨年3月2日の附則に於いてだった。「新型インフルエンザ等緊急事態宣言」との文言が加えられたのだ。初回の発令は昨年4月7日。つまり、泥縄だった。
 スッカスカ君は今度は早めに出すと言いたいのだろうが、『すでにもう』緊急事態に立ち至っている。しかも過去3回の緊急事態宣言が効果なく潰えた挙句の4度目なのだから、『政権敗北宣言』の方がより正確だ。
 訓詁注釈をしているのではない。根拠法自体に遡って疑義ありといっている。同時に5月の拙稿『幻想の緊急事態宣言』で「コロナ禍は実在するが、宣言は幻想」と提起した「虚構性」を繙いている。
 以下、国立感染症研究所のHPから。
〈最初の緊急事態宣言が発令された2020年4月7日の東京の新規感染者数は87人だった。あの頃、私たちは感染の恐怖におびえ、街は閑散として静まりかえり、通勤電車もガラガラだった。新型コロナウイルス感染症との戦いが1年近くになり、緊張感が薄れてはいないだろうか。2回目の緊急事態宣言前夜の2021年1月7日、東京新規感染者は2020年4月7日の31倍に当たる2447人だった。〉
 「緊張感が薄れてはいないだろうか」とは然りだが、31倍の感染拡大は宣言が孕む幻想性に来由している。さらにその幻想性を『担保』しているのが、アンバイ政権以来の政治不信だ。忖度政治とネポティズム、その独裁手法が国民に行政府への抜き難いアンチパシーを生んだ。根因はそこにある。だから、前稿で減らない人出を「あれはデモだ」と呵した。
 先日、アンバイ君は「五輪開催に反対する者は反日だ」と嘯いた。まったくどの口が言う! ならば、訊こう。天皇の感染拡大不安発言を無視したのはどこのどいつか。反日に対峙する価値観の極北にあるのは天皇ではないのか。真っ先に「重く受け止める」べきはお前であろう。無視したスッカラカンはお前の後釜ではないのか。天皇発言をネグる形で天皇を政治利用しているのはお前ではないのか。「私が国家」と公言したお前は一体何様なのだ。増上慢にも程がある。この永田町の現実こそ「緊急」である。すでに目の前にある「緊急事態」そのものだ。
<追記>
 西村のトンデモ発言に触れないわけにはいかない。何を血迷ったか、言うことを聞かない呑み屋さんに金を貸すなと銀行にプレッシャーを掛けると揚言した。やはりアンバイ君の子飼いだ。宣言の空振りに業を煮やし、独裁手法の愚挙に出た。撤回はしたが、それで済む問題ではない。衣の下から鎧が見えた。類は友を呼ぶ。スッカラカンこと「あんなくだらない奴」には「もっとくだらない奴」しか集まりはしない。 □