伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

ムキャンキャク

2021年07月03日 | エッセー

 こういう時は記者全員がズッコケるくらいのリアクションはとってもいい。
 7月2日午後 官邸でのぶら下がり取材──
「オリンピックの観客について、緊急事態宣言の時はどうするかという質問だったと思います。
 そうした時にムキャンキャクもあり得るということを私から明言しています」──
 この大事な局面で「無観客」がちゃんと発語できない。一軍の将が敵陣を前にしていよいよ突撃開始。「よし。トチュゲキ開始!」などと宣(ノタモ)うたなら途端に戦意喪失するは必定だ。
 言葉尻を捕まえて揶揄しようというのではない。言葉には真情が乗り移るから聞き置くわけにはいかないのだ。後手後手批判が身に染みて、逃げ道の先手を打ったか、あらかじめのエクスキューズを用意したか。やはりスッカスカ君だ、慌ててカンでしまったようだ。
 AERA7月5日号に内田 樹氏が稿を寄せた。拾い読みしてみる。
〈東京五輪有観客開催に向けて、政府と組織委の暴走が止まらない。パンデミックが終息にほど遠い状態で、大量の人口移動と接触機会の増大を伴う五輪開催は理性的に考えてあり得ない選択である。
 こんな状況での五輪強行は「ほとんど狂気の沙汰」である。後世の史家は「2021年の日本人は正気を失っていた」と書くだろう。
 五輪を開催しないと、どこかの国が軍事侵攻するとか、国土の一部を割譲しなければならないとか、国が傾くほどの賠償金を科せられるというのなら、わかる。それならたとえ感染爆発で百人・千人単位の死者が出ても、国としての算盤勘定は合うだろう。
 単純化すれば、問題は「五輪を開催することによって救われる命」と「それによって失われる命」とどちらが多いかということに尽くされる。これついて政府も組織委もたしかな見通しを持っているなら話はわかる。ならば、その科学的データをいますぐここに出して欲しい。〉
 狂気の沙汰」、「軍事侵攻」、「算盤勘定」、内田節の炸裂である。言い得て妙、我が意を得たり、痛くなるほど膝を叩いた。
 ついでに『正気の沙汰』を。
 今日の日刊スポーツにアメリカでのツイッターが載っていた。
〈ジャレド・ティムズ(投球インストラクター
「この世には人間がいて、そしてショウヘイ・オオタニがいる。信じられない」
 巧い! 実に巧い! 『世には人間とオオタニがいる』ってわけだ。
 も一つ、内田氏は国民的スターに長嶋茂雄と車寅次郎の虚実2人を挙げる。共通点は「悪く言う人がいない」こと。さらにある種の「古代性」を指摘する。長嶋は球戯という祝祭の「不世出の祭司」であったし、香具師の寅さんは日本の独自文化を担った婆娑羅の末裔であったと。(「態度が悪くてすみません」を参照した)
 偏屈者の稿者でも大谷を「悪く言」った記憶は一度もない。アメリカでも「オ・オ・タニさん!」から「オオタニ・ショー」(独壇場と翔平を掛けたか)に変わった。それに、二刀流はベーブ・ルースという「古代性」を体現している。
 この際だ、大谷のメジャー行きに否定的だった往年の名選手で解説者のH本氏には自らにダメ出しをしてほしい。
「カジュ!!」いや、「喝!」 □