伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

新型コロナの突然変異 in 永田町

2020年02月02日 | エッセー

 人人感染と突然変異は永田町で起こった。以下、今月1日の朝日新聞から要録。
 〈新型肺炎「緊急事態、改憲の実験台」 自民内に意見、野党・公明反発
 新型コロナウイルスによる肺炎拡大にからみ、自民党内から憲法を改正して「緊急事態条項」を新設すべきだとの声が上がっている。
 論争の発端は30日、自民党二階派例会での伊吹文明元衆院議長の発言だった。伊吹氏は「指定感染症」とする政令の閣議決定後、強制入院などには一定の周知期間が必要になると指摘。「周知期間を置かなくてもよくするには憲法を変えないと」とし、感染拡大は「憲法改正の大きな一つの実験台。緊急事態の一つの例」と述べた。
 党内からは、伊吹氏の主張に理解を示す意見が相次いだ。小泉進次郎環境相は「公益と個人の人権のバランスを国家としてどう取るのか。日本として問い直される局面で問題意識を持っている」と述べた。
 しかし、感染拡大で国民の不安に乗じるように改憲論議を進めようとする姿勢に、他党は一斉に反発する。立憲民主党の枝野幸男代表は31日、「拡大防止はあらゆることが現行法制でできる。憲法とは全く関係ない。悪乗りで、憲法改正に悪用しようとする姿勢は許されない」。公明党の幹部は「『火事場泥棒』で議論を進めようなんて絶対ダメだ。改憲がますます遠のく」と指摘する。〉
 上を下への灰神楽の中で老いぼれゾンビが舞い戻って、またぞろ火を付ける気か。
 自民党の「緊急事態条項」に関する改憲条文案はこうだ。
① 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、緊急事態の宣言を発することができる(98条)
② 緊急事態の宣言が発せられたときは、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる(99条)
 前項の政令又は処分は、100以内に国会の承認がない場合には、その効力を失う。
第〇条 大地震その他の異常かつ大規模な災害により、衆議院議員の総選挙又は参議院議員の通常選挙の適正な実施が困難であると認めるときは、国会は、あらかじめ法律で定めるところにより、内閣の要請に基づき、各議院の出席議員の三分の二以上の多数で、(〇月を超えない範囲内において、)その任期及び選挙期日の特例を定めることができる。
③ 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。
 この三項は猛毒を含む。ナチスの全権委任法と同じく独裁に道を開くからだ。
① ──「内閣総理大臣は……緊急事態の宣言を発することができる」の「内閣総理大臣は」が最大の問題だ。人治主義を脱し法治主義へ移行したところにこそ民主主義の真髄がある。とんでもない邪悪な人間やどうにもならない愚鈍な者を一国のトップから排斥するシステムである。民主主主義的手続きを経て専任されたとしても「乱心」する場合もあり得る。邪智を隠していることもある。国家存亡の判断を一個人に委ねることは最も危険である。それは嫌というほど歴史に学んできたはずではないか。
② ──「内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定」は、国会の死を意味する。国会は立法権を内閣に奪われ、全権は内閣に集中される。
 第〇条は一見すると尤もだが、ナチスの全権委任法と同じ手法だ。4年の時限立法だったが、ナチスは実際には議会を招集しなかったため無期限の延長となった。「100以内に国会の承認」とはいっても議会が緊急事態を承認すると選挙は行われない。議員はずっと同じメンバーである。「選挙の適正な実施が困難であると認めるときは」がそもそも緊急事態なのだから形容矛盾だ。何度も同じ議決を繰り返せば、「特例」を無期限に延長できる。国会は有名無実と化す。法の制定と執行者が同一となる。これが独裁制だ。
③ ──これが国権によって平等権、自由権、参政権などの基本的人権が緊縛された「独裁」の中身だ。「緊急事態条項」の成立を梃子に戦前志向の憲法改正、別けても9条。そのブレークスルーとしての自衛隊明記へと駒を進めたい。これが本音だ。
 新型コロナは人身を蝕んでもやがて終熄する。コロナを逆手に取った「緊急事態条項」は国の骨格を蝕み永劫に終熄することはない。
 慧眼の士内田 樹氏の警世の一文を徴したい。
 〈僕は民主制から独裁制への移行をもたらすのは、最終的には知性の疲労だと思います。知性の肺活量不足と言ってもいい。「複雑な話」を「単純な話」に還元しようとする誘惑は常に存在します。「反知性主義」というのはこの誘惑のことです。反知性主義は感染力が強い。悪病がうつるように、ため息がうつるように、「もう難しいことを考えるのに疲れたよ」という愁訴はあっという間に広がってしまう。この徒労感からどうやって民主制を守るのか、それが喫緊の課題だと僕は考えています。言い換えるなら、「難しいことを考えることを厭わない」という意欲をどうやって保持するか。もっと踏み込んでいえば、「難しいことを考えることをむしろ好む」ような傾向をどうやって創り出すか。それが民主制を守るための思想的な急務ではないか。〉(「アジア辺境論」から抄録)
 「新型コロナの突然変異 in 永田町」の培養液は「知性の疲労」にある。鋭い剔抉にしっかと身構えた。 □