伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

白村江、再びか?

2014年04月14日 | エッセー

 663年、白村江の戦い。本邦最初の「集団的自衛権」行使の実例として時々引き合いに出される。
 7世紀初頭に唐が成立。高句麗を滅ぼし、6世紀からの百済、新羅と合わせた三国鼎立が崩れる。続いて唐は新羅を冊封し、同国の要請を受ける形で百済に侵攻。一旦、百済は滅亡する。その3年後、再興を掛けて挙兵。要請を受けた倭国が援軍を送ったが、圧倒的な軍事力を誇る唐・新羅連合軍に大敗を喫した。これは言葉本来の意味での集団的自衛権に当たるであろう。
 当時本邦は大化の改新後20年弱、内政の激動期で外交の舵取りも揺れた。公用語が百済語であったといわれるほど飛鳥王朝以来百済との結びつきは深い。一方、超大国・中国王朝とは太古よりの繋がりがある。どちらに与するか、親百済か親唐か。孝徳天皇と中大兄皇子の二派に別れての路線対立があった。
 結果は惨敗に終わる。当然、唐による本邦侵攻の危機が予見される。4年後即位した中大兄皇子・天智天皇は関係改善のため遣唐使を送り出す。併せて北部九州や瀬戸内、西日本の防衛強化、さらに海浜部から内陸部への遷都。実に素早く適確な対応であった。目が覚めたというべきであろう。素朴な侵略、拡張の時代に粗略な戦略が国家存亡の危殆を招いた。アナクロニズムと嗤うなかれ。大国の覇権、彼我の戦力、辺境という立ち位置、地政学的な諸元はなにも変わってはいない。
 「集団的自衛権」とは「集団的自衛『義務』」に他ならない、と何度も述べてきた。繰り返しになるが、内田 樹氏の達識を要約すると以下の5点になる。

(1) 集団的自衛権というのは、軍事的小国には「現実的には」認められていない権利である。それが行使できるのは「超大国」だけである。
(2) 集団的自衛権というのは平たく言えば「よその喧嘩を買って出る」権利ということである。助っ人する「義務」はある。 でも、助っ人にかけつける「権利」などというものはありえない。
(3) 集団的自衛権とは、超大国が自分の支配圏内で起きた紛争について武力介入する権利のことである。「シマうちでの反抗的な動きを潰す」権利なのである。
(4) アメリカと心中したいというのが「集団的自衛権の行使」を言い立てている人々の抑圧された欲望ではないか。小泉純一郎、安倍晋三、石原慎太郎、橋下徹もたぶんそうだと思う。
(5) 米国との共同行動なら、わからないでもない。だが、ベトナム戦争にコミットしたことでアメリカは多くのものを失った。「よしたほうがいいぜ」と言ってあげるのが友邦のなすべきことだった。

 「権利」ではなく「義務」であるとは、(2) である。
 (1) と(3) 、つまり「シマうちでの反抗的な動きを潰」した実例を挙げてみる。以下、松下伸幸氏の「集団的自衛権の深層」(平凡社新書、昨年9月刊)から摘出した。

① ソ連のハンガリー介入(56年)
集団的自衛権をかかげた軍事行動のなかで、戦後はじめての事例
② 米・英のレバノン・ヨルダン介入(58年)
西側諸国も負けていなかった。その次の発動は、アメリカとイギリスによるものなの
③ イギリスのイエメン介入(64年)
南アラビア連邦を支援しておこなわれたイギリスによるイエメンに対する軍事行動
④ アメリカのベトナム侵略(66年)
第二次大戦後最大規模かつ最長期間の戦争。フランスに次いでアメリカが前面に出てベトナムの独立に敵対しようとした
⑤ ソ連のチェコスロバキア侵略(68年)
ソ連の支配から脱して、自主的な国づくりをすすめようという国民運動「プラハの春」が、ソ連軍によって潰された
⑥ ソ連のアフガニスタン介入(80年)
ソ連軍が突如として首都カブールに侵入。ソ連に批判的な政権を転覆
⑦ アメリカのグレナダ介入(83年)
集団的自衛権が介入の根拠として使われた
⑧ アメリカのニカラグア介入(84年)
79年、革命政権が樹立され、内戦状態。隣国の親米国家エルサルバドルでも、反政府組織が勢力を拡大
⑨ フランスのチャド介入(86年)
冷戦期の集団的自衛権行使の最後の実例とされる

 45年国連憲章第51条に初めて明文化されて以降、これだけある。なんとも多い。さらに本年のクリミア併合も、「同胞」を守る責任を掲げつつロシアによる「シマうちでの反抗的な動きを潰」した実例に変わりはあるまい。⑨ からもう1件増えた勘定だ。
 松下伸幸氏は上掲書の中で、 
◇実際に集団的自衛権を行使したと表明したのは世界の百九十数力国のなかで、ただの四力国にとどまっているのである。しかも、その四力国とは、米英ソ仏という、世界のなかの超軍事大国だけだったのだ。実際に発動された事例をみると、別にどの国も「武力攻撃」を受けたわけではないのに、アメリカやソ連などの方が、攻撃をしかけているのだ。
 集団的自衛権というのは、「同盟国」を助けるものだったはずである。ところが、実際に発動された事例をみると、その「同盟国」が武力攻撃の対象になっているのである。
 これらの事例(① ~⑨)に共通するのは、集団的自衛権というものの実態は、「自衛」とは何の関係もないのはもちろん、二重にも三重にも違法な武力行使だったということである。国際法に対する重大な違反だったのだ。◇
 と述べている。傾聴すべき見解であり、内田 樹氏の洞見と深く響き合う。
 問題は(5) 「米国との共同行動」である。如上の如く「集団的自衛権」という呼称には不釣り合いな中身だ。(5) に絞って、というか矮小化ないしはイシューをずらして集団的自衛権を言挙げする意図が薄気味悪い。(4) でもあろうし、かつて取り上げた白井 聡氏が「永続敗戦論」で剔抉した歪んだ構造があるのかもしれない。ともあれ安保法制懇のケーススタディはブラックジョークの域を出ないものだらけだ。
 日本海で米艦が攻撃されたら……。そうなったら在日米軍基地も当然攻撃を受ける。それは集団的自衛権以前に日本有事だ。原発もある。破れかぶれで標的にされたら、どうする。ケーススタディというなら、とことん詰めねば意味はない。イージス艦が持つ迎撃ミサイル「SM3」では弾道ミサイルは撃ち落とせない。明々白々のスペックだ。第一、ミサイル迎撃システムそのものがまったくの未完の技術である。早い話が夢物語だ。何よりも法制懇は、軍事は自己肥大するという自明の原理を失念している。なんだか話の成り行きは、絵空事を本気で話し合う『集団的憑依』の様相を呈しているようだ。ケーススタディの結果がありうべからざる結末を招来するなら、そのケース自体を回避する方策を詮議すべきではないか。核兵器への対処と同じだ。
 冒頭で白村江の戦いを、「素朴な侵略、拡張の時代に粗略な戦略が国家存亡の危殆を招いた」と記した。1351年経って、はたしてどうだろう。『集団的憑依』が先祖返りし、粗略どころか空想の戦略が一人歩きしている。むしろ戎具が破滅的になっただけ、より事態は深刻でカタストロフに近い。

 


<跋>
 書き損じてかれこれひと月になりますが、先月23日をもって本ブログ開始8年を迎えました。一口に8年といってもいろいろな事どもがありました。世界も日本もそうです。必死に追っかけ、雑感を綴ってきましたが、振り返ると至らぬところばかりです。一方私的には最大の出来事は、08年の入院と昨年のリタイアでした。前者は浅田次郎著『壬生義士伝』に勇気をもらい、後者は同じく浅田次郎著『一路』に背中を押されました。蓋し、良書は良き伴侶です。加えて、近年では内田 樹氏の著作にインスパイアされることばかりです。心底「学びを起動」させられます。蓋し、得難きメンターは無比の羅針盤です。
 愚案、愚稿にお付き合いしていただいている方々に跪座し、満腔の謝意を捧げます。今後ともご愛顧のほど、よろしくお願いします。 欠片 拝。 □