◇「自分が言わなくても誰かが代わりに言いそうなこと」よりは「自分がここで言わないと、たぶん誰も言わないこと」を選んで語るほうがいい。それは個人の場合も、メディアの場合も変わらないのではないかと僕は思います。◇(『街場のメディア論』から)
この内田 樹氏の箴言に背中を押されて、小保方晴子女史にエールを送りたい。もとより稿者は科学者などではなく課外者、有態にいえば化外者である。
まずは臆面もなく、旧稿を引きたい。
〓題名は「四人はなぜ死んだのか」。文芸春秋より99年7月に発刊された。著者は三好万季。中3の夏休みに理科の宿題として書いたレポートだったというから、もはや脱帽。第60回文芸春秋読者賞を受賞した。
『犯人は他にもいる』と昨年和歌山で起きた「毒入りカレー事件」を追う。
当時、「天才少女論客」の名を取った。その後、とんと消息を知らずに来た。医者志望だった彼女、いまごろは研修も終え第一線に立っているのかと、期待しつつ調べてみた。ところが時の人となった翌年、高校を辞めていた。理由は定かではないが、ブラックジャーナリズムの好餌にされた痕跡が窺える。
99年12月発行の雑誌「噂の眞相」に「『天才少女論客』三好万季の親父は詐欺師だった!」が載った。父君の間で何度か攻防がなされたようだが、『書き逃げ』『書き得』そして『書かれ損』に終わったらしい。詳しい経緯は与り知らぬが、ショーぺンハウアーが弾劾した「断然有害」の暴力性、その毒牙にかかった可能性が高い。
なんとも口惜しい限りだ。事の「真相」は措いてでも、『怪物』をおもしろがり育てようなどという優しさや度量は、この社会から消えてなくなったのだろうか。「出る杭は打つ」どころか、「出る」前に打ち込んでしまおうというまことに貧しい国に成り下がってしまったのか。三文雑誌が『五人目』のスケープゴートを生んだことだけは確かだ。〓(09年、「あの人は今?」から抄録)
囂しい偽造説に、埃を被った愚案が蘇った。「『怪物』をおもしろがり育てようなどという優しさや度量」が失せた社会は決してクリエーティブではなかろう。眉に唾つけて狐狸に騙されないのも用心のひとつだが、騙されてみるのも一興である。ヒョウタンからウマが出ないとも限らない。なにもマッドサイエンティストを嘉しているわけではないが、常軌を超え世紀を画する知見はほとんどがマッドサイエンティストに擬せられる。ガリレオは異端とされたし、アインシュタインはネグレクトされた。“デビュー”はそのようなものだ。ともあれ「芽を摘むな!」とだけは呼ばわりたい。玉石混淆という。当然、玉は悲劇的に少ない。だからといって十把一絡げに捨てるわけにはいかない。ならば、どうする。とりあえず、バッファに置いておこう。それが『おもしろがる』ということではないか。おそらくこの属性は人類の進化に欠かせないものだったにちがいない。
先日も引いたが、脳科学の達識を再録したい。
◇人生の目的のために真摯に努力することと、快楽に我を忘れることには、同じ脳内物質が関わっているのです。何かを成し遂げ、社会的に評価されて喜びを感じるとき、友人や家族や恋人から感謝やお祝いの言葉を聞いて幸福感に包まれるとき、私たちの脳の中では、快楽をもたらす物質「ドーパミン」が大量に分泌されています。この物質は食事やセックス、そのほかの生物的な快楽を脳が感じるときに分泌されている物質、またギャンブルやゲームに我を忘れているときに分泌されている物質とまったく同じなのです。これは一体どういうことなのでしょう。ご存じのように、ヒトという生き物は大脳新皮質、つまり「ものを考える脳」を発達させることで繁殖に成功してきました。狩りをしたり、植物の実を食べたり、繁殖期に異性を見つけて交尾したり、今を生きるために必要なことならほかの動物にもできます。ところがヒトという種は、遠い将来のことを見据えて作物を育てたり、家を建てたり、さらには村や国を作り、ついには何の役に立つのかわからない、科学や芸術といったことに懸命に力を注ぐような生物です。そういった、一見役に立つかどうかわからなそうな物事に大脳新皮質を駆使することで結果的に自然の脅威を克服し、進化してきた動物がヒトであるともいえるでしょう。◇(中野信子著『脳内麻薬』から)
「快楽をもたらす物質『ドーパミン』が大量に分泌」されるのは、「生物的な快楽を脳が感じるとき」だけではなく、「ギャンブルやゲームに我を忘れているとき」もである。後者はつまり「何の役に立つのかわからない、科学や芸術といったことに懸命に力を注ぐ」ことを先導し、ヒトが「自然の脅威を克服し、進化してきた」結果を招来した。大仰にいえば、『おもしろがる』には人類の進化が懸かっているわけだ。
さて、先月末の拙稿で使った『寝技』をもう一度繰り出してみたい。
〓内田 樹氏の洞見を援引したい。
◇例えば、クラスに、級友がどんなにちゃんとした行為をしても、立派なことを言っても、「どうせ利己的で卑しい動機で、そういうことしてるんだろう」と斜めに構えて皮肉なことばかり言う人がいたとしますね。そういう人はたぶん自分は人間の「行為」ではなく、「本質」を見ているのだと思っているのでしょう。でも、世の中が「そういう人」ばかりだったら、どうなると思いますか。たしかに、どのような立派な行為の背後にも卑劣な動機があり、どのような正論の底にも邪悪な意図があるということになれば、世の中すっきりはするでしょう。「人間なんて、ろくなもんじゃない」というのは、たしかに真理の一面を衝いてはいますから。でも、それによって世の中が住み易くなるということは起こりません。絶対。だって、何しても「どうせお前の一見すると善行めいた行動も、実は卑しい利己的動機からなされているんだろう」といちいち耳元で厭らしく言われたら、そのうちに「善行めいた行動」なんか誰もしなくなってしまうからです。もう、誰もおばあさんに席を譲らないし、道ばたの空き缶を拾わないし、「いじめられっ子」をかばうこともしなくなる。誰も「いいこと」をしなくなる社会が住みよい社会だとぼくは思いません。全然。それよりは少数でも、ささやかでも、「いいこと」をする人がいる社会の方が、ぼくはいいです。その「いいことをする人」が「本質的には邪悪な人間」であっても、とりあえずぼくは気にしません。◇(「若者よ、マルクスを読もう」から)
万が一、件の捏造が証明されたとして人類史的向上にどれほどの貢献が刻まれるであろうか。「世の中すっきりはするでしょう」が(その向きの論者には)、「人間なんて、ろくなもんじゃない」という「真理の一面」は明らかになっても、「それによって世の中(=世界)が住み易くなるということは起こりません。絶対。」だから、「とりあえずぼくは気にしません」でいいのではないか。なにせ、【スタップ細胞が偽物だった】として、脳梗塞、心臓発作、または発狂、倒産などの実害を被る人は地球上には一人もいないはずである(おそらく)。ならば、【彼女】が威風堂々と人類の先駆けに『気持ちよく』任じてくれる方がどれほど世界的受益が大きいか。〓(本ブログ「アポロ捏造説を諭す」から)
【 】部分は、本稿用に置き換えた。寝技だから立技のように鮮やかに一本というわけにはいかない。抑え込みに入っても30秒は掛かる。解(ホド)けるやも知れぬ。だが、水際だった返し技を喰う心配はない。鬼の首を取ったように繰り返されるエビデンスと科学者倫理。二つ乍ら寝技に持ち込んだ。篤と吟味願いたい。
近々、反論記者会見が予定されていると聞く。これは完全に後世の偽作らしいが「それでも地球は動く」を借りて、「それでもスタップ細胞はできる」はどうだろう。捨て台詞には持って来いだ。あーそれから、ぜひ割烹着でお出まし願いたい。年間580億円の交付金に頭が上がらず、『おもしろがり』精神を忘れ、組織の論理に絡め取られた理研を割(サ)いて烹(ニ)る。返す刀で、右に倣えの「邪悪な意図」探しメディアをも割烹に。んー、寓意に満ちてはいないか。
小保方、ガンバレ! スタップ細胞をストップしてはいけない。今の苦悩は栄光へのワン・ステップだ。たとえ一人になっても、おじさんは君を信じる。いざとなれば、スタッフにだってなる。研究室の掃除ぐらいはできるし、なんならマウスの代わりをしてもいい。相当ガタは来ているが、いまだ生きた人体であることは確かだ。
負けるな! 小保方。ガンバレ! 小保方。 □