悪い予感はよく当たる。あの男にだけは首相をさせてはならないと、再三再四本ブログで訴えてきた。理由はない。直感だ。敢えていえば、わがプロファイリングによるとあの手の男に禄な者はいないからだ。万が一そんなことになれば、国外移住するとまで公言してきた。万が一になったのでその準備を進めていたが、あんなことになり沙汰止みとなった(話半分、気持ち一杯)。浅田次郎御大の小説に準えて、『貧乏神から疫病神へ、そしてついには死神に』と化身を予想した。繰り返すが、悪い予感はよく当たる。
5月28日、国会事故調査委員会にあの男は参考人として招致された。一国の総理だった者が、在任中の公務にかかわる言動そのものの適否を問われることは前代未聞ではないか(私利に関わる疑惑についてなら前例はいくつもあるが)。いわば勤務評定であり、事後的ではあるが適格性の審査である。A元総理に言わせれば、『みぞうゆう』にちがいない。東條英機以来ではないか。その意味で、日本憲政史上に永く汚名を留めることとなった。最も無能で、災厄でしかなかった総理大臣として。
3時間近くに及ぶ聴取に対する応答は責任転嫁の一言に尽きる。言い訳上手がこの男の本性だから、案の内だったともいえる。痴人説夢のあれこれについて取り上げる値打ちはない。紙幅を汚すだけだ。ただ、次の遣り取りだけは爆笑を誘った。
〓〓3月15日早朝に東電本店に乗り込んだ際、清水正孝社長(当時)らに「撤退などあり得ない」と厳しく迫ったことに話題が及ぶと、「叱責するつもりは本当になかった。夫婦げんかより小さい声だった」と釈明。「東電幹部に撤退を考え直し、命がけで頑張ってもらいたいという気持ちだった」と続けた。
ノーベル化学賞受賞者の田中耕一委員は、海江田万里元経済産業相が事故調での質疑に「初めて菅氏の演説を聞く方は違和感を感じて当然」と答えていたことを指摘。ここでは、「厳しく受け止められたとしたら本意ではない。不快に思った方がおられたら申し訳ない」と陳謝した。〓〓(asahi.com 2012-05-29)
「夫婦げんかより小さい声」で、はたして叱責が可能だろうか。全面撤退の要請が本当だったとしたら、「夫婦げんかより大きい声」で叱責するのは当然ではないか。「夫婦げんかより小さい声」では、叱責は格好つけただけだと自ら証言しているに等しい。本気で乗り込んだのなら、1発や2発ぶっ飛ばしたっておかしくはない。それともあの男の夫婦げんかは、町内に響き渡るほどのどでかい声でなされるのであろうか。周到に弁明の準備をして臨んだそうだが、あの男のオツムはこの程度でしかない。多言を弄しても、蟹の泡(アブク)だ。
「不快に思った方がおられたら申し訳ない」も、聞くに耐えない稚拙な言い草だ。田中氏は不快感を問題にしているのではない。不適格を問い糺しているのだ。ノーベル賞学者の社交辞令を甘く捉えてはいけない。
一端の男ならすべての非を一身に担い、歴史の審判に委ねるとでも啖呵を切ったであろう。第一、恥を知る男なら、そんな屈辱的なお白洲にのこのこ出張るはずがない。
国会事故調では事故の解明は不十分であったかもしれぬが、人物の解明は十全になされた。もう二度と月夜の蟹は要らない。 □