伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

NHKのせいにしとこー

2012年05月14日 | エッセー

 この急速な関心の冷め具合はなんだろう。少なくとも私の中ではそうだ。沸いたのは10年だった。本ブログでも何度か取り上げた。「究極の選択」から問題を提起し、カテゴライズし、原理的究明へと誘(イザナ)う。その鮮やかなメソッドは衝撃的だった。まさに「白熱」した。
 爾来、来日が重なるごとに白熱は「微熱」に、それもやがて「平熱」に変わってきた。なぜだろう。
 まずは絵面(エヅラ)の問題だ。TVが見せるものである以上、これは決定的だ。3月18日放送のNHK「許せる格差 許せない格差」は典型的だった。大型ディスプレイには、参加する日・米・中の学生たち。スタジオでは学者・竹中平蔵、タレント・真鍋かをり、野球解説者・古田敦也、お笑い芸人・ピース又吉、副知事・猪瀬直樹がイスに掛けるている。サンデル教授はいつものように片手をポケットに、片手をジェスチャーに使いながら歩き回る。
 これは変だ。これでは明らかにスタジオの5人は教えられるトポスになる。当人たちは教わる気であろうとも、痩せても枯れても日本の大人の代表である。私は決して「右」ではないつもりだが、どう贔屓目に見てもアメリカが日本に教えを垂れている図にしか映らない。中身はともあれ、少なくとも対話ではない。絵面ではそうだ。東大安田講堂のイスに掛けて彼らも「教室」に参加する体(テイ)なら、授業参観ともとれる。発言するにせよ、「一日学生」としておかしくはない。いっそ、竹中、猪瀬両氏に学らんでも着せるという演出もありだ。しかし、スタジオ参加のあの絵面はよくない。NHKのセンスのなさに辟易だ。
 次に中身。上記の回もそうだが、「大震災特別講義~私たちはどう生きるべきか~」、「震災復興・誰が金を払うのか」、「ビンラディン殺害に正義はあるか」と時事的な論件が並ぶ。特に「格差」をテーマにして、竹中氏を招くとはブラックユーモアといえなくもない。
 ともあれ議題が生臭くていけない。「『究極の選択』から問題を提起し、カテゴライズし、原理的究明へと誘う」というメソッドが活きないのだ。聴講者をして選択のジレンマを見舞うには問題が若すぎる。教授の真骨頂は「原理的究明へと誘う」ところにある。短兵急に今日的問題の解を求めても、お門違いではないか。せいぜいシャンシャンで終わるか、隔靴掻痒で切り上げるほかあるまい。これでは、教授の神通力も減衰せざるを得ない。安田講堂でハーバードの「白熱教室」を再現している分には、絵面も中身もなにも文句はなかったのだが……。
 教授は言う。
「震災の時の日本の人々の素晴らしい対応。彼らは非常時でも礼節を重んじ、冷静で自己犠牲の精神にあふれ行動した。その姿に驚き、そして誇りに思ったという意見が聞かれた。日本の人々が行動で表した美徳や精神が、人間にとってそして世界にとって大きな意味を持ったということ、それが再生、復活、希望に繋がるプロセスの一助となればと思います。
 もしかすると今回の危機に対するグローバルな反応や支援の広がりは、コミュニティーの意味やその境界線が変わりつつある、広がりつつあることを示しているのではないだろうか。家族や地域とのつながり、我々を束ねているより小さなコミュニティー独自のアイデンティティーというものがある。これは私たちが共に生き、お互いを思いやる上で、重要な要素であることは指摘してくれた通りだ。しかし地球の反対側にいたとしても日本の人々の冷静で勇敢な対応には強い共感を覚えることができたということだ」
 身に余る言葉ではあるが、一方で政府や東電の愚かしさや狡猾さも日本人は痛いほど目に焼き付けている。略奪はないまでも、放射線汚染による立ち入り禁止区域では略奪紛いの盗難が横行した。
 後段の「より小さなコミュニティー」の喪失が前景化してくるのはこれからだ。「地球の反対側」の「強い共感」とは位相を異にする死活的アポリアだ。事程左様に、浮世は御し難い。
 政治哲学者が世事を語る困難、というより語り方、形式に疑義ありだ。講演というスタイルで一向に構わないのではないか。少なくとも「サンデル流」はそぐわない。NHKも「二匹目のどぜう」ばかり狙うのは能がないヨ! 
 2度目になるが、内田 樹氏の言を引こう。
◇「正しいかどうかわからないけどワクワクする」と「正しいけどワクワクしない」ってあるじゃないですか。なんとなくテンションが上がる。生命力の針が一目盛り分だけ高くなるような方向に向かう。学問的テーマにしても、日々の仕事にしても「ワクワク」を選択し続けていると、なんとなくいいことが続いて起こる、身体の中に自分自身を正しい方向に導くセンサーがある。◇(「日本の文脈」角川書店)
 「正しいかどうかわからないけどワクワクする」と「正しいけどワクワクしない」──ここだ! 絶対、前者をチョイスだ。ところがわがセンサーの感度が鈍ったか、それともNHKのせいか。寄らば大樹の陰(意味が違うけど)、NHKのせいにしとこー、と。 

*民放でも「教室」は企画・放映されているが、NHKと大差ない。放送量は圧倒的にNHKが優る。 □