伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

言葉遊び

2011年12月21日 | エッセー

 この時季になると、いろんなクリスマス・ソングが巷に溢れる。山下達郎の「クリスマス・イブ」もそうだ。
 
   ・・・・・・・
   〽雨は 夜更け過ぎに 雪へと変わるだろ
 
 これだ! このフレーズを聞くと、かつてのフジTV「ボキャブラ天国」最優秀作品(もちろん筆者独自のチョイスだが)が蘇ってくる。なんど聞いても、たんびに笑う。これが笑わずにいられよか。
 「雨」を「あ『に』」と一文字、たった一文字変える。すると、こうなる! 

   〽兄は 夜更け過ぎに 雪江と変わるだろ

 なんだかそそくさと夜の御出勤をなさる妖艶な偉丈夫の姿がくっきりと瞼に浮かび、吐き気と爆笑が同時に襲ってこないであろうか。これが地口、今様にいえば「ボキャ天」の凄み、妙味である。この投稿者は絶賛に値する。勲章ものだ。作者は違うが、次の作品も歴史に残る傑作だった。
 「弘法も筆の誤り」をボキャぶって、『コウモンも筆はあんまり』
 数カ月、魘(ウナ)されるほどに笑った。今でも時々思い起こしては笑う。周りは白い目で見るが。

 言葉遊びは世界のどこにでもあるが、古の物名(モノノナ)、折句、洒落、語呂合わせ、地口、ダ洒落、はてはおやじギャグに至るまで、日本は特に盛んだ。そのわけは日本語の音節が百ちょいと少なく、ために同音異義語が量産されたからだ。近頃聞かなくなったが、「脳トレ」にはもってこいだ。ただ、「おやじギャグ」という呼称はいただけない。筆者なぞはこれで随分へこんできた。おやじがぶっ放すからおやじギャグなのか。それなら、不承不承ではあるが納得する。しかしこの言い方には汚らしいものに顔を顰めるような距離感がある。愛情のない等閑視だ。だからナイーブなおじさんはへこむ。でも、負けない。命ある限り、放ちつづける。世界の夜明けの、その日まで……。

 言葉遊びはいいが、『言葉弄び』はいけない。先日、これがあった。
 「原発事故収束宣言」だ。
 開いた口が塞がらない。どころか、呆れた拍子に頤が外れそうになった。海外を意識したにせよ、冗談にもほどがある。生命維持装置をつけてICUにいる患者を「油断は決してできませんが危機は脱しました」と言うならまだしも、「もうすっかり回復しました」と医者が告げるようなものだ。苔むしたギャグだが、冗談は顔だけにしてほしい。さらに後刻、野田総理は「発電所の事故そのものの収束を言っており、原発事故との戦いが終わるわけではないと言っている」として、「収束」という表現を見直す必要はないと述べた。気は確かなのであろうか。
 むこうがその気なら、こちらも黙ってはいられない。おやじギャグを見舞ってくれよう。

◇やはり腰抜け、抜け出せるか?『野壷』総理。出てきたところで、鼻つまみなノダが。
◇見通しが利かない『レンコン』なんとか担当相。鶏ガラスープで煮ても喰えない。
◇A級戦犯なのにまだいる『枝葉』経産大臣。タッパも舌も、おまけに節度も足りない。
◇頭を振り振り『ゴミ山』厚労大臣。引っ込めはしたが、窓口百円負担は生徒会レベルだ。
◇エーカッコしーの『現場』知らず外務大臣。出目金のくせに、視野が狭い。
◇『イッセン』を越えても居直る、ど素人防衛大臣。おっさん、たいがいにせい!
◇マルチーズが大好きな『ジャマ岡』国家公安委員長。草葉の陰で、荘八さんが泣いてるぞ。
◇存在感がまるでない『あーすみ』ません財務大臣。官僚の手玉だ。
◇いいかげんなデタラメばかり『放送の』原発事故担当相。キバってる割りには事は少しも進んでいない。
 
 以上、お粗末。 □