伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

島から始まった日

2011年12月08日 | エッセー

 「人生七十古来稀」 杜甫はそう詠んだ。それほどに70年は永い。だが今、年寿は優にそれを越えた。屈指の長寿国だ。一方、稀なる永い星霜を経ても越えられない壁がある。沖縄だ。鉄壁にも紛う金網の結界には異邦の兵(ツワモノ)たちが陣取り、結界外での悪行さえもわれらには裁けない。点のごとき寸土のウチナーに駐留の七割半を押し込めるヤマトゥ。70年前の愚挙がついにはこの異形(イギョウ)に凝(コゴ)り、ウチナーチュの慟哭は絶えることがない。加うるに、単なる人気取りの口実にこの島を弄ぶ政治屋がいる。同朋の苦衷に寄り添おうとしない心の凍えた汚吏がいる。二重の災厄に島は身悶える。

 他国に攻め入った戦(イクサ)は、主なもので六つある。
  白村江の戦い
  文禄・慶長の役
  日清戦争
  日露戦争
  日中戦争
  太平洋戦争
 白村江は義戦ともいえる。文禄・慶長は最も自滅的な老害か。日清・日露は防衛、次の二つは夜郎自大の極まりであろう。別けても太平洋戦争。きょうは、パールハーバーから七十年を迎える。「トラ・トラ・トラ」の打電は古(イニシエ)の武運に因むが、戦局はまったく逆に進む。3年8ケ月、狂乱の末、一国は焦土と化した。

 朝日は社説でこう語る。
〓〓歴史はたえず現在に照らして問い直される。ならば、欧州発の経済危機がとどまるところを知らず、民主主義の未来が危ぶまれつつある今日、真珠湾はどんな意味を持つのか。
 ひとつの視点として、開戦を日本政府の判断の過ちや、日米対立の産物ととらえるだけでなく、もう少し広く歴史を見渡して位置づけてみる。
 すると、真珠湾は1929年の大恐慌から混迷を深めた国際秩序が、アジア・太平洋地域でもついにこわれてしまった破断点だったといえるだろう。
 当時は、列強各国が権益を守るためにブロック経済に走り、戦争を招いたのだ。それに比べて、いまはG8、G20といった多様な国際連携の枠組みがある。多くの分野で政策協調の必要性も広く理解されている。
 だが一方では、世界貿易機関(WTO)が立ち往生し、へたをすると各国がブロック経済へと突き進む恐れもある。インターネットの時代、危機は瞬時に世界を駆けめぐり、破局から避難できる場所はどこにもない。
 歴史上、同じドラマが起こることはない。だが、歴史が似たような過ちを繰り返すのも事実だ。人間はしばしば、みずからの欲望や政治的なパワー、技術力を制御できなくなってしまうからだ。〓〓
 真珠湾という「破断点」に至る道程(ミチノリ)が「ブロック経済」であった。この指摘は重い。何度か引用した浜矩子教授の憂いに響き会う。こちらの経済的結界も、外界との軋轢を生まないはずはなかろう。歴史が単純に繰り返すことはない。歳月は常に変化を刻んでいるからだ。しかし人間にその歳月に見合う進歩があったかどうか、明答は困難だ。

 戦は島から始まり、島で終わった。始点の島はいま太平洋の楽園と呼ばれ、戦はすでに歴史となっている。だが終点の島は異形の定めを負い、古希ほどの年月を経てもなお戦が居座る。結界の壁が消え、美ら島が異形を脱するのはいつか。それはヤマトゥにしか成し得ないと、「島から始まった日」に胸に刻む。□