伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

二つの別れ

2011年07月26日 | エッセー

 この7月には、二つの印象的な別れがあった。21日にはアトランティスが帰還し、スペースシャトル30年の歩みにピリオドが打たれた。3日後の24日にはアナログTV放送が終了し、こちらは58年の歴史に幕を下ろした。
 スペースシャトルも着想からは57年を経過している。無理無体な勘定だが、ほとんど同じ年季といえなくもない。「水平着陸可能、再使用型宇宙往還機」が開発のコンセプトであった。69年のアポロ11号月面着陸の、なんと前年に研究が開始され、間髪を入れず時のニクソン大統領が正式決定した。なんとも緻密で雄大な計画である。このあたり、この国の底知れぬ強さであり魅力だ。
 2回の失敗を除くと、133回にわたりスペースとのシャトルを成し遂げた。バドミントンの羽根もそうだが、機織りの杼(ヒ)もシャトルという。形からいえば、こちらがふさわしい。もちろん、できた織物はISSだ。米ロを中心とした“I”、インターナショナルの夢が織り込まれている。向後十数年は、ロシアのソユーズ頼みだ。いかなアメリカも、負んぶに抱っこするしかない。いい図ではないか。米ソ冷戦時代が霞んで見える。
 
 24日は日本国中、大騒ぎだった。地デジが現実になった!
 かねてよりわたしは、地デジ化にはラジオ復帰で対抗すると嘯いてきた。だがその昔、わたしは産道に定見、信念の類いを置き忘れてきたらしい。案の定食言し、すでに買い替え、対応済みであった。ただ1台だけ、大事に残しているアナログテレビがある。といよりも、断じて捨てられないのだ。
 『ナショナル Panacolor』である。2段の木製(木彫?)箱型タイプ。角が取れた丸みのあるブラウン管。両サイドがスピーカー。下段はテレビ台を兼ねた観音開きの、ビデオデッキなどを入れる収納ボックス。今ではとんと見かけないタイプだ。あるいは、すでに淘汰されたか。
 ところが、である。同型のテレビが『男はつらいよ』に登場するのだ(型式は不明。しかし何度も見比べて同型であると確かめた)。昭和63年に封切られた第40作「寅次郎サラダ記念日」、秋吉久美子がマドンナを演じた作品である。その作中、お馴染みのとらや(くるまや)の居間に置かれている。──余談ながら、あの居間のテレビは実によく時代を背負(ショ)っている。1、2作ごとに型が変わる。時代の変化を計る大事な舞台装置なのだ。『寅さん』の隠れた魅力だ。──なんとわが家に、その“名機”(同型機)が鎮座ましますのだ。
 だから倹しい和室の隅にはあるものの、どうして「隅に置け」ましょうや。邪険に片付けられましょうや。もはや文化史的遺産、世界遺産とはいわないまでも家宝にはちがいないのだ。お偉方にオーソライズされずとも、他人(ヒト)は見向きもしなくても“一級の文化財”である。自慢ではないが、わが家に金はない。高級調度品も、貴金属の類いも皆無だ。ただしこの文化遺産をもって唯一、最高の誇りとするのである。(エヘン!)
 わが家の“名機”はいたって元気だ。ビデオの再生専用で使おうかとも考えたが、近いうちにチューナーを付けてテレビとしても『復活』させるつもりだ。
 7月24日、『ナショナル Panacolor』に正対して正午を迎えた。カウントダウン……ついにその時が来て、画面はブルーバックに変わった。なぜか、込み上げて来るものがあった。ふと、『テレビが来た日』が過(ヨギ)った。
 翌日、恐る恐る“名機”のスイッチを入れてみた。『サンド・ストーム』である。砂嵐に58年の歴史がかき消されていた。何かの潮目なのだろうか。いや、そうしなければと、しきりに気が急(セ)いた。□