伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

盛夏

2011年07月21日 | エッセー

 盛夏。……なぜかときめく。
 わずか二十三度、地球が傾いているために夏になる。その盛りだ。
 
 少年の日、夏にはふんだんに時間があった。夏休みの到来だ。
 紺碧の天空に盛り上がる入道雲。澄明な大気のなかで、山々も高々と聳える。夜空には星々が散り敷かれ、満天が耀(カガヨ)う。
  鰻登りの寒暖計をにらんで、噴き出る汗を拭う。てんこ盛りの西瓜を頬張り、山盛りのかき氷にエイッとばかり匙を挿(サ)す。ころは盛夏、忘れ得ぬ一齣だ。
 何度挑戦しても仕舞いには決まって追いかけられた、山のような宿題。疎ましい憂鬱の種。あれさえなければ、どれほど晴れ晴れしかったことか。
 
 高く舞い上がる花火。盛夏を寿ぐ華の宴だ。夏祭り。年に一度の盛大なひと出。人いきれ。踊りも跳ねる。振る舞い酒。声高な談笑。夜更けてなお、高揚はつづく。
 盆を挟み、人の動きが慌ただしくなる。列車も道路も、下りは溢れるほどだ。ふるさとの匂い。懐かしい顔。地に縁する人がこんなにいたのか……。久闊、そして再会。人の輪が大きく膨らむ。

 野にある草も盛んに生い茂る。夏草だ。

   夏草や 兵どもが 夢の跡

 奥州平泉への訪(オトナ)いが夏だったからではない。陽に焼かれ燃え滾る夏草なればこそ、兵どもの猛々しい息遣いを芭蕉は聴いたのだ。冬枯れた野草では武士(モノノフ)の威風はそよとも吹きはすまい。盛夏が生んだ名句だ。

 東洋の智慧は朱雀を夏に配する。よろずに派手で、利発で、俊敏で、活動的だ。今年もやって来たが、いつもと巷の様子はちがう。それでも声を限りに囀り、朱い羽根を忙しなく動かして自在に飛び回りたいにちがいない。
 人とておなじ。須臾の間(マ)でも、遠い少年の日の盛夏が戻らぬものか。そう、一瞬の夏でいい。□