伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

虚仮の一心

2011年07月06日 | エッセー

 7月3日、朝日新聞に興味深い記事が載っていた。要点を抜き出してみる。 
〓〓<ザ・コラム>原子力のゴミ 放射能の時間、人間の時間 
◇地下深くに建設される高レベル放射性廃棄物の処分場がとても危ない場所であることを、どうすれば後世まで伝えられるか。知らずに掘り返したり開けたりすれば、そのときの社会に深刻な被害をまき散らす。
◇1万年、あるいは300世代。それくらい先の人にもわかる方法はないか。同じ長さをさかのぼってみると、石器時代だ。今の言語はどれもすっかり変わっているだろう。絵を残してもどう解釈されるかわからない。
◇パリ郊外の昔ラジウム抽出工場があった町では、放射能のせいで引っ越すはめになった小学校がある。またフランスはラジウム入りの医療器具、化粧品など各種製品を第2次大戦前まで大量に販売した。今では残存放射能が問題になり、監督官庁が追跡している。
◇鳥取県境の人形峠で、放射性を帯びた残土が野となり山となっていた。撤去まで18年もかかった。「忘れる、ほったらかす、行方不明になる、解決にもたつく」事例が、フランスでも日本でも目立つ。1万年どころか、たった数十年でこの有り様だ。
◇放射能の時間と迷走や暴走を繰り返す人間の時間。この二つの時間に折り合いをつけるのは難しい。
◇2009年、米原子力規制委員会(NRC)はネバダ州に計画されている高レベル放射性廃棄物最終処分場について、1万年ではなく100万年後の放射線レベルまで考慮する方針を示した。
◇100万年前といえば、原人ピテカントロプスの時代だ。放射能を管理するために当てにできるものがあるとすれば、それは科学や社会の進歩よりも、ヒトが落ち着いた社会を築ける生物に進化することかもしれない。〓〓

 虚仮の一心で、いまだに核廃棄物の処理にこだわり続けている。かつて2度、テーマにした。初回が07年2月、「奇想、天外へ!」。2度目が本年5月、「昔の伝でなぜいかない?」であった。最初の問いかけ──核廃棄物、もしくは廃棄核兵器をロケットに詰めて、宇宙の果てに飛ばしてはどうか。できれば、ブラックホールめがけて。──を、3年繰り越して受けた形だ。もちろん、フクシマが機縁となった。
 「この類いのプラン、誰かが着想したにちがいない。しかし、俎上に載らないのはなぜか。」との自問自答のいくつかのうち、
〓〓なんらかの倫理観が働いた?
 『宇宙的』倫理観とでもいおうか。宇宙を汚してはいけないという抑制が働いた。ただそうだとすると、なぜ地球はゴミだらけで平気なのか。養老孟司氏の言に、「部屋の掃除をしてキレイになっても、掃除機の中はゴミだらけ」というのがある。大気圏内では、所詮右のモノを左に持って行っただけではないのか。ならばと、大気圏外にぶっ放そうという発想はオカしいのか。〓〓(「奇想、天外へ!」より)
を、再度吟味した。
〓〓地球は「無限性」に満ちていた。なかでも海は、すべてを受け容れるプラネット・アースの「無限」であった。あるいは空も無窮の空間であり、地もまた無尽の母性であった。ありとあらゆる塵芥(チリアクタ)の類(タグイ)はそれら「無限」に向けて放出され、またガイアの懐へ戻された。そこには倫理的抵抗感はなかったはずだ。なにせ、相手は無限で無窮で無尽だったのだから。〓〓(「昔の伝でなぜいかない?」より)
との『地球の無限性』に寄りかかった「昔の伝」──ありとあらゆる塵芥の類はそれら「無限」に向けて放出され、またガイアの懐へ戻された──が、地球的問題群の顕在化とともに使えなくなったと述べた。では、──「無限性」を宇宙にスライドさせ──『無限』の宇宙に放つのか。それは、今や俎上にも載らない。なぜか? 未来学者ローレンス・トーブの洞察を孫引きしつつ、──人類の「霊的成熟」が宇宙処理の技術的失敗という恐怖と打算を超えた──と括った。

 ややこしい話だが、「昔の伝」のうち「ガイアの懐へ戻」す手はいまだに核廃棄物に使われている。というより、今のところ術はこれだけだ。重ねて拙文を引く。
〓〓最終処分とは地中深く埋めることだ。地質を調べ、地下300mの硬い岩盤に封じ込めるのであろうが、どっこい地球には地震というものが起こる。いかな岩盤とて勝てる相手ではない。さすれば早い話、人類は放射能を枕に寝ている仕儀となる。半減期はプルトニウム239が2万4千年、ウラン235は7億年。気が遠くなる数字に、笑ってしまう。
  さて、その半減期である。レントゲン撮影に使うエックス線。これも放射線ではあるが、装置の電源を切ればばそれで終わり。しかし、原発で作られた核分裂生成物はそうはいかない。放射線を出さなくなるまで待つしか手はない。放射性元素の原子数が崩壊によって半減すれば概ね安心できる。これを半減期という。要するに無害化するまでの期間である。〓〓(「奇想、天外へ!」より)
 そこで、冒頭の<ザ・コラム>である。核心は、
 「放射能の時間と迷走や暴走を繰り返す人間の時間。この二つの時間に折り合いをつけるのは難しい。」
の部分ではないか。なにせスパンが違い過ぎる。「1万年、あるいは300世代」どころか、「100万年」3万世代までを想定するとは流石アメリカだと、感心ばかりしてはいられない。話がデカすぎて、壮大なるウソと大差ないともいえる。しかし「半減期はプルトニウム239が2万4千年、ウラン235は7億年」となると、途端に定規の目盛りは変わる。これだけ人間離れした時系軸を前にすると、先日(5月31日「とんでもニュースを見て」)引用した「原発一神教論」も宜なる哉だ。
 太陽の余命があと50億年とすれば、地球のそれもほぼ同じであろう。「7億年もの間、核を枕に寝続けるのか。そのうちに巨大地震でも来て地中の核物質が噴きだし、本物の『猿の惑星』にならないとも限らぬ。」も、あながち痴人説夢とはいえまい。「ヒトが落ち着いた社会を築ける生物に進化する」まで待つか。だが海路の日和はあるのか、ないのか。
 やはり、「最初の問いかけ」にまた戻ってしまう。……虚仮の一心、行きつ戻りつだ。□