伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

半畳を入れる

2011年07月12日 | エッセー

 冷房設備のない体育館の中に、テントが並ぶ。そこでの寝起き。きっと蒸された空気が澱んでいることだろう。同情を禁じ得ないが、一介の民草にはどうにもならない。こちらもエアコンを切るか? 体感は同じうしても、情を同じうするには至るまい。ならば、まっとうに起居できる境遇に感謝しつつ当方の持ち場を守るしかなかろう。
 拙(マズ)い芸に野次を入れられた太夫が、それも万度(バンタビ)に及ぶと平気になる。「今じゃ、鑓(ヤジリ=野次ること)も食べ慣れた。存外に旨いものだ」と悪態をつく。江戸の落とし噺のひとつだ。なぜかこの太夫、どこかの御仁に似てないか。
 四ケ月を越えて、なお目鼻がつかない。洒落ではなく、半畳を入れた程度の避難所暮らしが続く。赤絨毯の連中はいっかな持ち場を守らない。事ここに至っては、永田町こそ真っ先に冷房を切るべきではないか。扇風機は一部屋に一台。外気を入れるのはいいが、雑音となるゆえに団扇、扇子は自粛。死なれては困るから、百歩譲って飲み水だけはよしとしよう。
 同情するなら金をくれの伝で、復旧への予算の工面に避難所と同じ体感で取り組ませてはどうか。さすれば、よほどに身に染みよう。酷暑で汗みどろの国会審議。甲論乙駁にも早々に決着がつくにちがいない。鑓も精度が勝負。暑くて、慣れるほどには飛ばせまい。芸なしの太夫に旨いなどと能天気を言わせる余裕はない。文字通りの白熱国会。サンデル教授も絶賛だ。□