日々改善

今日の問題を明日に残さない!問題解決を図って行く様をリアルに描写していきます。経営コンサルの視点で物事を見ていきます。

四苦八苦

2010-11-23 | 世間知らずな私
「○○に四苦八苦する」こんな言葉を良く使うと思います。
何気なく使っているこの四苦八苦という言葉について調べてみました。
例によって大辞林によると「 非常に苦労、また、苦悩すること。」となっています。
また、仏語であり、人間のあらゆる苦しみを云うとあります。

それでは先ず「四苦」ですが、
①生きる苦しみ
②老いる苦しみ
③病気になる苦しみ
④死ぬ苦しみ
以上、この4つの苦しみは、生きている以上、免れられないものです。

また、この「四苦」に加えて
⑤愛別離苦(あいべつりく)=愛する人と別れる苦しみ
⑥怨憎会苦(おんぞうえく)=怨み憎む相手と、会わなければならない苦しみ
⑦求不得苦(ふぐとっく)=思うようにならない、求めても手に入らない苦しみ
⑧五陰盛苦(ごおんじょうく)=身体的な苦しみ
この4つを加えて「八苦」となり
私たちが普段使っているあらゆる苦しみである「四苦八苦」となります。

ただ、苦しみを苦しみと感じなくなったら「四苦八苦」は無くなってしまうのでしょうね。
感じないというよりは励みとする事が出来たらバラ色になるんでしょうね。

四苦八苦しなくて良い人生を作りたいものですね。
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手に熱湯INマク○ナルド

2010-11-23 | 他人のフリ見て我が身を正す
私が休日の朝行きつけにしている(?)マク○ナルド

開店当初から何度も嫌な目(商品違いや数量間違え)にあわされながらも
結局は近いからという事で利用しています。
以前はどうあろうと、今が改善されていれば文句はない訳ですからね・・・。

そんなマク○ナルドで「凄くマク○ナルドらしいなあ。」と思わされる事が有りました。

先般の事
いつものように無料コーヒー券を握りしめ
ドライブスルーを利用しようと注文の機械の前に車を止め
「おはようございます。ご注文はお決まりでしょうか?」のマイク越しの女性の声に誘われて
これまたお決まりの
「2○○番(←無料コーヒーの番号)とソーセージマフィン(←100円)お願いします。」
そう告げると、スピーカー越しに
「100円です。お車を前へどうぞ。」と誘導してくれました。

商品の受け渡し場所は
店内の混雑とドライブスルーの混雑が相まって
スタッフが右へ左への大騒ぎです。

そして、私のやさしく気長な目線の先で
少しお姉さん(40歳前後?)のスタッフが
大急ぎでコーヒーをカップに入れようとした瞬間

「熱っ!!」
お姉さんの左手がコーヒーカップと化し
コーヒーが大量にかかってしまったのです。

余程熱いのでしょう顔を歪めながら手をブルブル振っていました。

「大丈夫?」
心配した私はお姉さんに声をかけました。

「こちらコーヒーになります。」
お姉さんは、職務を全うしようとして
私の声も聞こえないかのようにコーヒーを手渡そうとしています。

手渡されたコーヒーを受け取る私に
「お砂糖とミルクです。」
即座に砂糖とミルクを手渡そうとしました。

「あっ、ブラックで良いです。熱かったでしょ。大丈夫?」
自慢なのですが、私の声は大きい方なので(変な自慢ですか?)聞こえない筈が有りません。

「こちら商品になります。」
今度はソーセージマフィンが入った紙袋を手渡そうとしています。

こうなったら私も意地です。
「ありがとう。さっきのコーヒー熱かったでしょ。火傷していない?」
もう一度声をかけた時
ようやくその返事が返ってきました。

「はい、大丈夫です。ありがとうございました。お気をつけて~。」
たった一言の「大丈夫です。」という言葉を聞くために何度も何度も同じ事を聞いてしまいました。
おじさんの面目躍如といったところでしょうか?

しかし、さすがはマニュアルのマク○ナルドの本領発揮です。
マニュアルに無い(あるのかもしれませんが・・・。)ことは一切アドリブが効かないのです。
確かにマニュアル通りに事を進めれば最低限の品質維持はできるのかもしれません。
しかし、それによって人と人との繋がりである筈の会話が出来ないようでは
「何のためのマニュアルか?」って云う事になります。

手に熱湯がかかった姿を見たら声をかけるのは当たり前のことだと思います。
せめて声をかけられたら声をかけられた内容に応じた
返事が即座にできるようには、なっていたいものです。
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若年者の自殺に思う

2010-11-23 | つれづれ
連鎖の如く若年者の自殺が続いています。
若年者は、報道により最後の引き金を自分自身で引いてしまいます。
だから若年者の自殺報道はして欲しくないと思います。

いつのまにか私たちの命が軽んじられてしまっています。
私が幼い時あんなに大切にされていた筈の命が
自らの命も
そして他人の命も
おかしな思惑やお金などによって左右され
本来「命」とは代えられない筈のものと見比べられてしまっています。

命の在り方を今一度考えて欲しい。
今年、50歳という年を迎え
残り少ない自分の命と向き合った時
生きたいと思いながらも
父の為
母の為
兄弟姉妹の為
妻の為
婚約者の為
我が子の為に
海の塵と消えて行った気高き我が国日本の青年達を思うと
ただただ涙が溢れるばかりです。


神風特攻隊員たちの遺書
http://www.youtube.com/watch?v=_QOXodCXpTs&feature=related

特別攻撃隊<最後の手紙>
http://www.youtube.com/watch?v=LCdzGDaJKpg&feature=related


どんなふうに感じ取っていただけたでしょうか?
特攻隊として、守るべきものを守るがために
若き命を落として行った彼らを軍国主義の化身とでも言えますか?

今私たちがのほほんと平和ボケになっていられるのも
彼らが海の藻屑と消えて行ってくれたお陰だという事を知らなければなりません。
彼らの姿や遺書を見て、右だとか左だとかの議論をしようとするのなら
その議論をしようとする事自体が命の大切さを分からない無頓着者とさえ思えてしまいます。

既に何十組のティッシュペーパーが屑カゴに消えて行ったか数える余地もありません。
既に屑カゴは満杯です。

今一度
自殺するする位なら
特攻に散って行った彼らにその命を分け与えて欲しいと思います。
それが出来ないのなら、彼らの分まで一生懸命に前を向いて生きて欲しいと思います。
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