今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

付け焼き刃の作法:椅子はどちら側から入る

2012年11月18日 | お仕事
推薦入試2日目。
今日は、公募制推薦。

採点項目ではないが、受験生の作法で気になった点は、
入室して椅子に座る時、わざと遠回りして、あえて”左側から”入ろうとする受験生が複数いたこと。

この動作の根拠は知っている。
以前、推薦入試で入学した学生に尋ねたら、高校の先生から「椅子は左側から入るもの」
と教わったという。

そのような作法は、作法書をくまなく探すと見つかる。
テーブルマナーの所に。
正餐会の長ーい食卓に座る時は、左から入ると書いてある。
着席するためにテーブルにしまってある椅子を引く必要がある
(椅子を引いてくれる給仕がいない前提)。
片手で椅子を引くためには、体を椅子の真後ろではなく、左右のどちらかに立つ必要がある。
ある人は右、隣の人は左に立とうとすると、体がぶつかってしまう。
なので、互いにぶつからないように、皆同じ側に立つことにする。

なら右と左、どちらがいいか。
どちらでもいいのだが、
どうせなら椅子を引くのは利き手(作法では”右手”が前提)だから、体は左側に立つのが自然。
そういう理由で、テーブルマナーの箇所に、左側から入ると書いてある。
決して、面接の場面にではない。

作法とは、作法学の用語を使えば、
条件+行為+機能+評価の4項の特定の連結からなる命題で、
条件が変われば、他の3項も別個の項目が選択されるもの。
つまり「いつ何時も」という作法は存在せず、「時宜によるべし」が実体なのだ。

作法的行為を固定化するのは、作法を無機能(無意味)な単なる”形式”だと思っている人。
内心で作法を軽蔑している。
本当の作法を理解していない自分に気づかずに。

自分用の1脚だけしかない椅子に座る場合、
どちら側から座るか、
出入口から近い方、すなわち下座側から座る。
オフィスや学校では自然とそうしているはず。
すなわちデフォルトの所作なので、作法書にはあえて記す必要がないわけ。
そもそも面接会場の椅子は、引く必要がない!

だから、先生はまったく別のシーン(条件)から作法を探してくる必要はなく、
むしろそうすることは作法的に間違いをおかす危険を知ってほしい。
結婚式での作法を、葬式の所から見つけるようなものだ。

そもそも、「私は作法通り振る舞っていますよ」ということをアピールするために、
不自然に余分な動きすること自体が、かえって不作法であることを
作法を付け焼き刃的に身に付けた人に対する警句として、小笠原流礼法は次の歌で教えている。
「躾けとて、目に立つならばそれも不躾」

必要最小限の動きこそ、美しい所作だという美的視点を、まずは取り入れてほしい。