今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

卒業式でなぜ国歌?

2006年09月22日 | 時事
学校の行事で国歌斉唱時に起立しなかったため、処罰を受けたことに対する、都教員の訴訟が地裁で認められた。
すかさず、政府側それを批判し、都知事は控訴を決める。

私は、この争いの文脈がおかしいと思う(つまり双方に反対だ)。
まず、私は君が代・日の丸を拒否するサヨクには同調できない。
君が代・日の丸は国歌・国旗として問題ない。
国歌・国旗は国民のものであって、国家主義者の所有物ではない。

でも、なんで公立学校の卒業式で国旗を掲げて国歌を歌うのか、それがわからない。
理屈でいえば、市立学校なら市歌、県立学校なら県歌を歌うべきじゃない?
長野県人以外で、自分のふるさとの都道府県の歌を歌える人いる?

国歌とは国を讚える場面にこそ歌うもので、オリンピックやワールドカップのような国という意識が明確になる場面でこそふさわしい(実際、サポーターは自発的に歌っているでしょ)。
県立高校の卒業式は国を讚えるべき場面だろうか。その高校を存立させたのは県だよ。
これでは、地方自治を認めない国家絶対主義ではないか。
必然性のない場面で強制することは、かえって国歌・国旗に対する敬意を損ねないだろうか。

首相をはじめとする国家側では、国歌を歌わないのは愛国心のない者という発想をもっている。
私は、サヨクと違って、(現在の)国歌・国旗を拒否しているのではない。
それにふさわしくない場面で歌わせることの不合理が問題なのだ。
私は国旗を見つめ国歌を歌う時は、万感を込めて歌いたいのだ。
サッカーワールドカップで日本が優勝すれば、一緒に歌う。

愛国心がない人間などいない。
国家権力が愛国心(という名の政府への隷属)を強制することに反対なだけ。
愛国心は政府への支持ではなく、自然な郷土愛から生まれるからだ。
そして歌は心から歌うもの。
郷土レベルの行事なら、郷土の歌をまずは歌おうよ。
都知事なら、都立高校は卒業式に都歌を歌えと主張すべき。
この考えって突飛だろうか。

※補足、この理屈からいえば、国立学校なら、卒業式で国歌を歌うのは当然の理。国技大相撲での国歌も同じ。
あと、コメント氏やテレビでも言われていたけど、じゃあいつ国歌を教えるのかという問題は、正規の授業で教えるべき。国歌って卒業式で歌うためにあるわけじゃないでしょ。