今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

私の八百屋お七

2013年10月13日 | 東京周辺

今NHKで八百屋お七のドラマ「あさきゆめみし~八百屋お七異聞」(毎週木曜20:00~)をやっているが、
視聴率が悪いという。
ネットでは、お七役の前田敦子の演技が悪い、日本髪が似あわない、いや相手役の男が悪い、
いや脚本が悪いと、いろいろ指摘されているが、まぁそのどれもが当てはまっているような気がしないでもない。

かように人にお勧めできるドラマではないが、私にとっては見逃すことができない。
前田敦子をではなく、お七をだ。

江戸の八百屋の娘で数えで16歳(今の満だと15歳)の”お七”という、
日本史上類い稀な、いや唯一ともいっていい悲恋のカリスマを、見逃すことができない。

そもそも、私が八百屋お七を知ったのは中学生の時だった。
その頃住んでいた家の近所に曹洞宗の名刹吉祥寺(文京区本駒込)があり、よく散歩ついでに境内に足を運んだ。
ある時、なんかさえない風貌のおじさんたち(生意気盛りの中学生からの印象)が大勢集まっていて、
なんだと思い近寄って見ると、境内の一角に大きな碑を建て、その除幕式をやっていた。
そこに集まったドブネズミ色の背広姿のおじさんたちは、風貌こそさえないが(彼らなりに正装なのだろう)、
皆笑顔で、自分たちが建てた碑の完成に満足そうだった。

いったいなんの碑だろうと近寄って見ると、見上げる高さの碑の中央にでかでかと「お七・吉三郎 比翼塚」と彫ってある(写真)。
その時は、なんのことだか解らなかったが、後になって、あのおじさんたちを見直した。

駒込吉祥寺の近くにあったという八百屋の娘お七は、江戸の大火事に遭って、
この寺(史実では少し離れた円乗寺)に家族とともに避難した。

そこでお七は、寺の小姓吉三郎という青年に一目惚れした。
お七はまっすぐな性格で行動力があったためか、
吉三郎とは深い恋仲になった。
だが、避難が解除されたことで、お七は吉三郎と別れるはめになる。

それがかえってお七の心を燃え上がらせた。
もう一度火事になれば、再び吉三郎に会える、それしか吉三郎と会える方法はないと思ったお七は、
あろうことかわが家に放火する(目黒の大円寺という話も)。
幸い、すぐに発見され、被害がなく消し止められたが、
当時放火犯は、人殺し以上の重罪。
お七は、捕えられ、火あぶりの刑になった
(今でも、放火の最高刑は死刑)。

以上、史実と創作が入り交じった形での伝説になっている。
お七の悲恋は、ずっと離れた大坂の作家井原西鶴をはじめ当時の人々にも共感をもって語り継がれた。
そもそも自由恋愛など許されない時代。
その中でのお七のあまりにもまっすぐな恋心は、表面的な社会規範の壁をぶち破り、深く人の心に突き刺った。
お七を愚かな放火犯と見る人はおらず、
お七の悲恋に心を動かされて、歌舞伎になり、明治の芝居になり、円乗寺(文京区白山)に墓が3つもできた(本来なら火刑に処せられた重罪人の墓は許されないのに)。
それでおさまらず、昭和の世に、あのおじさんたち(実は「日本紀行文学会の作家先生達)が、
お金を出しあって、お七と吉三郎の比翼塚を建てた。
比翼塚とは、お七があの世で吉三郎と結ばれますようにと祈る塚だ。

江戸時代の16の少女の熱く悲しい恋心が、数百年の時と性別と年齢を超えて、昭和のおじさんたちの心をも締めつけたのだ。
お七の話を後から知った私は、そういうわけで比翼塚を建てたおじさんたちを見直した。
おじさんたちが完成した比翼塚を前にして示した笑顔は、
お七の想いを叶えたことの満足感、
吉三郎とあの世で結ばれることのできたお七の幸せな姿を想像しての笑顔だ。

お七の恋は、かように人の心を打つ。
だから、お七はこれからも語り継がれる。
今回の低視聴率にめげないでほしい。

※お七の史実を探るには、『お七火事の謎を解く』(黒木喬、教育出版)がお勧め。
  吉祥寺と円乗寺はともに東京メトロ南北線の本駒込駅から歩いて行ける距離。

火元の目黒大円寺


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