今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

作法・礼法講座2:マナーとルール

2020年09月28日 | 作法

作法(マナー)の”法”は文字通り”やり方”(manner)であって、法(ルール)を意味するのではない。
つまり、作法は、やらなくてはいけない”決まり”ではない。
むしろ法(ルール)による強制を拒否する精神の現れだ。
この問題を論じたい。

【法治主義】
日本は「法治国家」である。
法による支配を謳う法治主義は、権力者の恣意的な支配、すなわち人治主義に対する意味で使われており、その意味においては、私も是とする。
ただ、法治主義は、一段具体的には、たとえば「罪刑法定主義」であり、法文に載っていない禁止行為を罪とすることはできないものである。
この論理の裏を返すと、法文に載っていない行為は、違法行為にならないので、罪とならない。
ぶっちゃけていえば、法律で禁じられていない行為は、何をやってもいいということだ。

なので当然、現行法の網をくぐって、グレーゾーンでやりたいことをやる人が出てくる。
それで迷惑・不都合が発生するので、法改正して、新たな禁止行為が法律で規定される。
これが繰り返されると、結局、どんどん法規制が増える一方となり、人々の行為はがんじがらめにされる。
無節操と厳罰化のシーソーゲームだ。

以上が、法治主義の論理だ。

【礼治主義】
実は法治主義という言葉は近代的概念ではなく、古代中国からあった。
儒家と法家との論争のテーマとして。
周の時代の礼治(徳治)を模範としたい儒家は、その実現に礼をもって治めることをよしとする。
これを礼治主義という。
そこには人々は、率先してきちんとふるまうという性善説が前提になっている。

それに対し、性悪説にたつ法家は、人の心に期待せず、一律の法による規制での治世を主張した。
これが法治主義である。
韓非子の法治主義を採用した秦が、初めての統一王朝を樹立したのだから、ここまででみると争鳴した諸子百家の中で法治主義が最終勝利したといえる。

だが、秦は始皇帝の一代で滅んだ。
つまり上の意味の法治主義による支配は支持されなかった。
それに続く漢王朝は、儒教を国教として(ということは礼治主義を奉じて)400年も続く※。

※漢の前期王朝(前漢)を滅ぼし「新」を打ち立てた王莽も儒教主義だったので、文脈上は漢の続きでよい。

では、儒教が理想とする礼治主義とはいかなるものか。
『礼記』によれば、民を刑罰をもって治めれば、民は恥を知ることもないが、礼をもって治めれば、恥を知って行為も正しくなるという。
その礼とは、節、すなわち過大と過小を慎み、中庸に収まる態度で、その逆は”無節操”である。

つまり法治主義は、民の無節操状態を刑罰によって力まかせに抑制しようとするものだが、礼治主義は民に節度を育むことによって、無節操を内側からなくそうとするものである。
だから礼治主義が実現すれば、皆、自発的に節度を守るため、刑罰が不要になる。
無節操と厳罰化の法治社会とどっちが住みよいだろうか。

もっとも、儒家もすべての民に礼を身に付かせることは現実的には無理だとわかっていた。
「衣食足りて礼節を知る」(論語)と孔子が言ったように、衣食を賄うだけで精いっぱいの庶民(下層民)には、「悪い事をしなければそれでいい」という法治主義でよいとした。
そして庶民の上に立つ士(大夫)に限って、礼でもって身を修めることを求めた。
すなわち「礼は庶人に下らず。刑は大夫に上らず」(礼記)と、庶民に対しては法治主義、士に対しては礼治主義の使い分けを求めた(そして礼治者には法治が不要であることも含意されている)。

ところが、長い目でみると、社会階層は流動化する。
生産性が高まり、衣食が足りると、庶民階級も上昇志向をもち、「士」を目指すようになる。
そこで庶民は士が占有していた礼を率先して身につけようとする。
日本の江戸時代がそうだった。
当時、武士階級は、藩校などで礼法を学んだ。
農民は、子女を武家に奉公に出して、武士から礼法を学んだ。
裕福になった町人は町の礼法教室に通うようになった。
その結果、”礼を身につけた庶民”という、大陸の儒家が想定しなかった人たちが、この島国日本に誕生した。

幕末、日本にやってきた西洋人が、一様に驚いたのは、庶民階級の女性たちが、母国の貴婦人(レディー)のように優雅な立ち居振る舞いをすることだった(日本女性の高評価はここから始まる)。
彼女たちは、テーブルマナーも完璧で、無学どころか、ひらがなの字を読み、和歌や俳句という韻文詩を吟じる。

嬉しいことに、現代においても、日本人は一定水準以上の礼を保っている。

道路脇の無人販売所が存在し、街中の至る所に自販機がおいてある。
これは世界でも類をみない風景だ。

この風景は、「道に金が落ちていても、誰も拾おうとしない」という、古代中国でたとえられた、民の生活が満ち足りて礼が行きわたっている理想状態に等しい。
その状態が日本で実現しているのだ。

”法治主義”が社会のあるべき最終形ではない、とうことを日本が示していると思う※。

※孔子様が現代に蘇ったら、私は、「あなたの故郷の国とこの日本と、どちらがあなたの理想に近いですか?」と問うてみたい。

今年においても、日本は法的に外出禁止措置などを取らず、すなわちルール化しないでマナーレベルでの対応を求めるに留まった。
そして見事にほとんどの日本人は、自発的にマスク着用というマナーを実行している。

これを日本社会の「同調圧」と解釈する向きもあるが、私は日本人の高度なマナー意識の現れと見ている。

こんなすばらしい日本だからこそ、それを数百年間育んできた日本オリジナルの伝統的礼法を、今一度きちんと理解するのも無駄ではないと思う。

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