昨日、雨上がりで1桁の気温に下がった中、埼玉県戸田市の郷土博物館を見学した。
戸田市は、荒川を挟んで東京と接する所だが、東隣の川口市が、鋳物・キューポラ、あるいは御成街道の宿場(鳩ヶ谷)で特色あるのに対し(→鳩ヶ谷の博物館)、
1985年に埼京線が開通するまでは東京からの鉄路がなく、一部の人が国道17号(中山道)で通過するだけで(中山道の宿場は戸田にはなく隣の蕨)、知られているのは唯一、東京オリンピックで使われたボート場(競艇も)がある事くらいで、
かように、東京に隣接している割に存在感に乏しい(それって、埼玉そのものに言える?)。
そんな戸田市にも郷土博物館があるので、全く知らない戸田市を学ぶべく、そこを目指した。
埼京線の戸田駅で降りると、新興住宅地の駅前は広いロータリー状になっていて、その周囲にサイゼリアと日高屋がある。
まずは見学前の腹ごしらえということで、どちらにしようか迷ったが、ここは埼玉が地元の日高屋にする(かた焼きそば)。
駅前から徒歩10分弱で戸田市立図書館の立派な建物内の郷土博物館に達する(写真)。
入館料は無料で、新興住宅地で競艇もあるので市の財政は豊かなんだろう。
フロアを左から一周するようになっていて、まずは縄文前期の土器と縄文人(6000年前)の頭蓋骨から。
これらについては、スマホアプリ「ポケット学芸員」で説明が聞けるが、館内はフリーのネット環境がないので、
アプリが入っている私のタブレットでは利用できなかった。
もっとも帰宅後に確認したところ、アプリでの説明は、館内の説明文と同じだった。
ほとんど知らない戸田市だが、縄文時代から人は住んでいたようだ。
それに続いて弥生式土器と古墳時代の埴輪が並ぶ(市内に墳墓のある遺跡もちゃんとある)。
地元出土のオリジナル埴輪を見るのはいつも楽しい(写真)。
中世は案の定、板碑(中世南関東に特有)が並ぶが、印象に残ったのは、古代から中世にかけて、愛知の猿投(さなげ:瀬戸焼の前身)や常滑の焼き物がこの地にも流布していたことで、現代まで続く愛知の陶器の生産・流通力に(半・愛知県人として)今更ながら感心した。
近世になると、中山道の”戸田の渡し”が重要ポイントとなり、この渡しを中心に、荒川での水運業が、また漁業も盛んだったようだ(荒川氾濫による水害にも悩まされた)。
近代以降は、東京のベッドタウンとしての発展とボート場と戸田橋の架け替えによる発展が示されている。
同じ階の別室には、所蔵絵画展が催されていて(〜11/19)、”浦和画家”という関東大震災後、浦和に集まった画家たちの作品などが展示されていた。
図書館入口のミュージアムショップコーナーには、過去の特別展のパンフや地元民俗芸能の研究書、学芸員の研究紀要なども販売されていた
(申し訳ないが戸田市の民俗芸能には関心がない。民話集だったら地域を問わず購入した)。
私が各地の郷土博物館を応援するのは、そこで働く学芸員の活動を応援したいからでもある。
歴史学や考古学を大学・大学院で学んだ人たちにとっての数少ない専門職である学芸員の活躍を、
微力ながら一入館者となって応援したいのだ(人類は、文化面においても情報・知識の高度化方向に進んでほしい)。
さらにここには戸田市の散歩コースの地図と埼玉県の博物館の一覧マップがあった。
前者はこの後のお寺巡り(妙顕寺、観音寺)に使い、後者は今後の郷土博物館巡りのありがたい参考にする。