今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

元日をこう過す

2019年01月01日 | 歳時

謹賀新年
元日からさっそくブログ発信。

毎年、私の元日のすごし方は定型になっている。
武家礼法を取り入れている点が、世間とやや異なろうか。

まず、自然な目覚めで起きたら(前の晩夜更かししていたら、それなりに遅い時刻)、湯舟に新湯を入れ、
水垢離ならぬ湯垢離をして、体を温めて清める(この時ばかりは入浴剤を入れない)。
元日用の絹の下帯を締め(通常は綿)、羽織袴(江戸時代の庶民の礼装)を着て(帯の結びは一文字)、

仏前・神前に礼拝(ネパール製のガンモモの響きがよい)。
腰(腹ではない)に白扇を差し、白足袋に草履を履き、近所の氏神様(二ヶ所)に初詣に出かける。

帰宅して、届いている賀状を整理し、
母がお節料理を盛っている間、手持ちぶさたに酒の準備をする。

そして、武家の礼装である烏帽子・直垂(ヒタタレ)に着替え、腰に白扇を差し、和室の上座に構えて、弟一家(5人)が来るのを待つ。
家族全員が揃って和室に着席したら、おもむろに「越天楽」のBGMを流し、烏帽子・直垂姿の私が、家族全員に対して、屠蘇の儀を式三献に則って執り行う。
すなわち、年少順に盃に屠蘇を注ぎ、それを盃を替えて三度行なう、いわゆる三三九度の儀式だ。
儀式だから、幼児には入れるふり、飲むふりで構わない。
屠蘇は前の晩から屠蘇散を金箔入りの日本酒に浸けておいた。

それを終えたら、一斉に「おめでとう」と挨拶し、子どもたちにお年玉を渡す。
私はもちろん、ポチ袋ではなく”折形”に包んだ。

この後は烏帽子をはずして、お節料理を嗜む(お節って子どもには不評で、大人には酒の肴にぴったり)。
くつろぐために、直垂を脱いでまた小袖(江戸時代の和服)に着替える。
これで、幼子たちと再び近所の寺社に参拝に行ける(さすがに烏帽子・直垂姿では外出しない)。
小袖姿になっても、武家として扇と袴は必ずつける(扇は刀代わりなので左腰に差す)。

日中にお節と雑煮を食べると、腹にたまって夕食もいらない。
夜は歴史物とりわけ(武士が大活躍の)関東戦国ものの本を読むことにしている(これも定型)。

こうして、新年初日の元日は、あえて儀式的にすごす。