昨年、杉並区を流れる川(神田川、善福寺川、妙正寺川)を歩いたので、
春休みで帰京している折り、次の川歩きをしたい。
東京区部の北部(練馬、板橋、北区)を流れる石神井(シャクジイ)川(北区では音無川)は、だいぶ以前に王子から板橋を抜けて豊島園まで歩いたので、そこから上流にしよう。
石神井川の水源はてっきり石神井公園の石神井池・三宝寺池だと思っていたら、これらの池は石神井川の水源どころか川に接してさえおらず、その上流の武蔵関公園の富士見池も川が貫通して水源ではなく、本当の水源は小金井公園の西方だという。
このように意外に長い川なので、今回は川としては実質的な水源に近い富士見池まで歩くことにする。
とういわけで、池袋から西武線に乗り、本線から1駅だけ北に伸びている支線の豊島園駅に降り立った。
豊島園は、子どもの頃は近場の後楽園より好きな遊園地だった。
でも、石神井川歩きにとっては、川(沿いの道)の通行を妨げる障害物でしかなく、大きく迂回を強いられる。
やっと川沿いの道に出て上流に向かって西行する。
川は、水藻こそ繁茂しているが、水が濁っていて、水鳥はいるが、魚影は見えない。
川岸も鉄の土留めが使われていたりして、川に対する愛情がみられない。
環状八号線を横断して練馬大橋を渡り、川が左に折れて南行し、西武池袋線・練馬高野台駅のガードをくぐる。
駅前的風情になると、桜並木となるが、まだ冬枯れ状態で、今日の北風の中でいっそう寒々しい。
今までの経験上、都市および郊外の川沿いは桜並木であることが多く、必然的に川歩きのベストシーズンは桜の時季となる(残念ながらその時季は私は東京にいない)。
気がつくと、川の水が赤土色に染まっている。
この色は土砂(関東ローム層)の色だから、大雨の後ならわかるが、一昨日に普通の雨があったくらいなので、この濁り様は説明できない。
いずれにせよ、川を見ながらの川歩きにとっては興が削がれることこの上ない。
長光寺橋を過ぎると、両側が新しい都営南田中アパートで、にわかに川沿いが公園状になる(写真)。
川に背を向けていた時代から、川に向き合う時代への変化を象徴した風景だが、杉並区にくらべると対応が遅く、範囲が狭い。
川べりは整備されているのだが、肝心の川が赤土色で濁っており、風景として興が乗らない。
石神井公園の南側に達したので、蛍橋から川を離れて、公園南にある道場寺と三宝寺を訪れる。
道場寺は石神井城主だった豊島氏(太田道灌に滅ぼされた)の墓所があるのだが、 修行道場的な寺のためか、墓所には一般人は入れない。
寺の向い側の石神井小学校では、卒業式が終わって4月から中学1年になる卒業生とその母親たちが校門付近に溢れている。
三宝寺近くの団子屋は地元名物らしいが、 店の人が奥に入ったままなので、一本だけ買うには忍びなく、あきらめた。
ここから団地のある右岸が工事中で、そのあおりで左岸の川沿いの道も通行止めなのでまた迂回を強いられる。
そして、工事区間が終わった上御成橋に立つと、なんと川が澄んでいる。
そうか、下流の川の濁りは、ここの工事による土砂のせいだったのか。
それにしても、その下流への影響は広い(長い)。
ということでここからやっと石神井川は、本来の澄んだ流れとなる。
といっても水深が浅いため、川の豊かさは感じられない。
西武新宿線の武蔵関駅を斜めに横断して、南北に長い富士見池に達する。
富士見池には島が2つあり、ボート乗り場があって、鯉も泳いでいる。
この大きな池こそ水源となっておかしくないが(湧水もあるのだろう)、石神井川はこの池を南北に縦断して(水路は池に並行している)さらに西に遡る。
ここから川は早稲田大学の東伏見運動場(野球部とサッカー部がそれぞれの専用グラウンドで練習中)の南縁を流れ、地図では道が無いが、大学の厚意によるのかきれいな遊歩道で敷地内を通り抜けできる。
だが、隣接する都営団地(この流域にやたら多い)に入ると、川が干上がって水がなくなる。
安全のための人工的埋立て(伏流化)によるのか、地形は立派な川なのに水がない風景は、とても残念。
行く手に東伏見稲荷(伏見稲荷の東京分祀)の鳥居が見えたので、ここで川歩きを切り上げ、東伏見稲荷に参拝して、西武新宿線の東伏見駅に向かった。
実は、ここから先の石神井川は、地形としての川道はあるものの、水がない区間がつづくらしい。
地域(住民・行政)に愛されている川を歩くのは楽しいのだが、愛されていない川は歩くとかえって不機嫌になってしまう。
石神井川は、下流の北区や板橋区の区間は楽しかったが、練馬区内は一部を除いて楽しくなかった。
練馬区から外れる上流も川としての面目が保たれず、楽しくないようだ。
可哀想な石神井川。
次は別の川にしよう。