昨日は寒さで退散したが、
今日はちゃんと防寒に身をととのえて、桜の花見散歩に出かけた。
桜となると、こうまでして、花見に執着するのが日本人である。
単に可憐な花をめでるためだけではない。
桜は、まちわびた春の象徴を超えて、”時の無常”の象徴でもあるからだ。
桜の花は”今”が可視化した姿。
今しかないのが桜の花。
だから強迫的に見たくなる。
昨日の駅前の桜を見ていると、
ウォーキングの老若男女が同じ方向から切れ目なくやってくる。
皆、同じ地図を片手に。
その地図をちら見すると、
北を流れる香流川(かなれがわ)沿いの桜並木から来たらしい。
駅前の桜だけではつまらないので、そちらに向かうことにした。
ただし、そのウォーキングは、駅前がゴールになっているので、私は逆行になる。
でも、切れ目なく歩いてくる人たちが、ルートを”可視化”してくれるので、地図なしでも安心。
切れ目ない人々の中、ただ一人だけ逆コースを行く我が身は、
まさに自分のアマノジャクな生き方を象徴しているかのよう。
途中、臨時公開している水道局の塔にも上がれて、
真っ白な中央アルプスや木曽御岳の展望を堪能した。
東京や横浜は富士が見えるメガシティだが、
こちら名古屋は日本アルプスが見える唯一のメガシティだ。
香流川沿いに達すると、川の両岸に花開いた桜が並んでいる(上写真)。
駅前よりはこちらの方が見栄えがいい。
ここまでくれば花見の散歩として満足なので、
あとはウォーキングコースから離れて、戻ってきた。
私にとって、今年の桜はこれにて終了。
今日はちゃんと防寒に身をととのえて、桜の花見散歩に出かけた。
桜となると、こうまでして、花見に執着するのが日本人である。
単に可憐な花をめでるためだけではない。
桜は、まちわびた春の象徴を超えて、”時の無常”の象徴でもあるからだ。
桜の花は”今”が可視化した姿。
今しかないのが桜の花。
だから強迫的に見たくなる。
昨日の駅前の桜を見ていると、
ウォーキングの老若男女が同じ方向から切れ目なくやってくる。
皆、同じ地図を片手に。
その地図をちら見すると、
北を流れる香流川(かなれがわ)沿いの桜並木から来たらしい。
駅前の桜だけではつまらないので、そちらに向かうことにした。
ただし、そのウォーキングは、駅前がゴールになっているので、私は逆行になる。
でも、切れ目なく歩いてくる人たちが、ルートを”可視化”してくれるので、地図なしでも安心。
切れ目ない人々の中、ただ一人だけ逆コースを行く我が身は、
まさに自分のアマノジャクな生き方を象徴しているかのよう。
途中、臨時公開している水道局の塔にも上がれて、
真っ白な中央アルプスや木曽御岳の展望を堪能した。
東京や横浜は富士が見えるメガシティだが、
こちら名古屋は日本アルプスが見える唯一のメガシティだ。
香流川沿いに達すると、川の両岸に花開いた桜が並んでいる(上写真)。
駅前よりはこちらの方が見栄えがいい。
ここまでくれば花見の散歩として満足なので、
あとはウォーキングコースから離れて、戻ってきた。
私にとって、今年の桜はこれにて終了。