今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

疑似科学って

2009年09月12日 | 作品・作家評
池内了『疑似科学入門』 岩波書店 2008年

「心理学は科学たりうるか」。
1人の心理学徒として、これは常に問い続けている問題。
というのは、「もしかしたら、いや、かなりの確度で心理学って”疑似科学”ではないか」、
という思いがあるからだ(片足突込んでいる気象学と較べて、測定のいい加減さが目に余る)。

疑似科学とは、科学の仮面をかぶった非科学的言説ということで、
典型的なのは「血液型性格論」、それに「マイナスイオン」。
あと、さまざまな健康法や喧伝される薬効なども入る。

この本がこれら典型的疑似科学ついて語っている だ け なら、
今更あえて読む必要はない(少なくともこれらを疑似科学と分かっている人には)。

ただ当然本書で主張されている科学的説明の論理(反証可能性)はきちんと確認しておこう。
たとえば「aが原因でbとなる」という因果関係を立証するには、
その命題だけでなく、
aでなくてもbが成立する場合、aであってもbが成立しない場合の計3組の探求が必要だという論理は、
現実の”科学的”研究においてもなおざりにされることがある
(たとえば心理学では、立証したい命題が統計的に有意でありさえすれば、立証されたとみなしてしまう)。

この書で読む価値があるのは、
複雑系などの、説明がすっきりしない科学的探求(ニューサイエンスなど)も疑似科学の俎上にのせている点。
すなわち、科学的活動自身に胚胎する疑似科学への転落性を問題にしている点である。

誤魔化しでない、真摯な科学的探求のつもりであっても、対象が複雑なため、
いつのまにか疑似科学に陥る可能性があるのだ。
複雑な現象を無理に単純化するのも疑似科学だが、複雑性にひれ伏して不可知論に陥るのも疑似科学となる。

これらには地球温暖化論や脳科学も含まれるという(単純化しすぎという点で。確かに怪しげ)。
それなら当然、心理学も含まれるし、経済学も逃れられない。

科学と疑似科学の境界線は截然としているのではなく、
科学をやっているつもりで、いつのまにか疑似科学化に貢献していまうおそれがある。
科学的研究といえども人の営為であるからだ。

そのあやふやな境界を明確化し、自覚し続けることが大切なんだろう。

というわけでこれから科学哲学の本を読む予定。

ただ、心理学については、科学であること以前に、学知(エピステーメー)であることを優先したいので、
私は現象学をベースにするが。