今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

江戸しぐさに

2007年05月13日 | 作法

武家礼法をやっている者として、江戸市民が開発した公共のマナー「江戸しぐさ」には注目をしている(狭い路地をすれちがう時にさしている傘を外側に傾ける「傘かしげ」が有名)。
自分の評価を高めるための営業用マナーよりも、自分に利が還元されない公共のマナーこそが、マナーの中でもっとも洗練された姿だと思うから。
その江戸しぐさのメッセンジャー(伝道師)として現在活躍している越川禮子氏のインタビューを、PodCast番組「ラジオ版学問ノススメSpecial Edition」で聴いた。
それを聴いて残念に思ったのは、”畳の縁(へり)を踏んではいけない”という茶室の作法を和室の作法だと氏が混同していたこと。

所作の細かい所まで一律化している四畳半の茶室の作法は、所作のバリエーションの多い広い和室(書院)の作法の応用であって、その逆ではない。
たとえば茶室内では点前の時の歩幅・歩数まで指定されるが、和室内での歩行はそもそも5種類もあり、時と場合によって適切にそれらを使い分けるのが作法である。
越川氏は本来作法家ではなく、あくまで江戸しぐさの伝道師にすぎない、という立場だとはわかるが、どうせなら江戸しぐさ以前に完成した日本の伝統的作法のすばさしさも知ってほしいものだ。

ちなみに、その江戸しぐさはなぜ成立できたのだろう。
実は、江戸時代初期に、水島卜也なる人物による小笠原庶流が江戸市民の間に大流行した。
水島卜也は、戦国末期に小笠原流礼法を大成した小笠原長時・貞慶父子の家臣であった小池甚之亟から礼法を教わったという。
本来の小笠原流は大名クラスのハイソな礼法であり、許可なく他者(ましてや庶民)に教えてはならないのだが、卜也によって、庶民に流出してしまったのだ。
つまり、江戸時代初期にすでに江戸市民は、中世を通して洗練されてきた小笠原流礼法を知っていたのである。
なので、正確なところは不明だが、江戸市民は、茶室の所作と和室の所作の違いくらいわかっていたかもしれない。
ちなみに小笠原庶流は江戸以外でも、更に普通の武士の間にもひろまった。
つまり江戸しぐさを知っている江戸市民だけが作法を心得ていたわけではない。
たとえば私の手元にある『小笠原流百ケ條』は天保年間の大坂の出版。