今日は、行橋からワンマンディーゼルに乗って、豊津へ。
京都郡豊津町は今は合併して「京都(みやこ)郡みやこ町」。
そう、ここは正真正銘九州の「京都」(しかもWで)。
「京都」といっても、軍艦のような威圧的な駅ビルもロウソク型のタワーもない、畑の真ん中の単線(平成筑豊鉄道)の無人駅で降りる。
ここの歴史民俗資料館に、小笠原惣領家が寄贈した古文書類が山ほどあるのだ。
幕末、高杉晋作の長州軍に攻め込まれた小倉藩は、運悪く幼い藩主だったため、自ら城に火を放ち、結果的に、ここ豊津に落ち着いた。
それが縁で、小笠原惣領家は小倉から持ち去った文書類をここに寄贈した。
どおりで今の小倉城には小笠原家の文書がなかったわけだ。
といっても実はここの礼書に関しては、後から東京で買い集めたものもあるという。
それでも室町期の礼書などあるので、さっそくデジカメを取りだして、ページごとに撮影を開始。
どんどん撮影して、ふとデジカメのバッテリ状態を見て愕然とした。
バッテリの残量がもうほとんどない!
このデジカメもご他聞に漏れず、専用の充電装置が必要。
いままで、旅先でバッテリが足りなくなることはなかったので、今回も事前にフル充電すれば足りると思っていた。
しかも今回は調子に乗って、ソニックの車内・車窓風景などを動画撮影してバッテリを余分に使っていた。
このデジカメの充電装置があるのは名古屋か東京。近い方でもここから550kmある。
デジカメで貴重な資料を撮影するのが目的で、わざわざ名古屋からここ九州の京都に出張してきたのに。
それが今や不可能になろうとしている。
撮影も丁度、室町期の貴重な礼書の真っ最中。
またしても、大チョンボ!
しかも、研究活動に直に影響する重大危機。
ああ、なんとしたとこか。
そしてとうとう、バッテリ残量が0となり、撮影不能に。
こうなったら、小倉にでも行ってこのデジカメの充電装置か安いデジカメを新たに購入してくるしかない(いずれにせよ数万の出費)。
荷物をまとめて、資料館の事務室にその旨を伝えると、職員の人がそれならと事務室内のデジカメを貸してくれた。
考えもしなかった展開。
そのデジカメはちょっと昔ので画素数などでかなり劣るが、背に腹は代えられない。
撮影を再開する。
ところが借りたデジカメのこのスマートメディアは88枚しか撮れない(私のデジカメでは2GBのSDカードなので1000枚以上)。
ほどなく満杯でこれ以上撮影できなくなる。
なら自分のパソコンにデータを転送すればいいやと、パソコンを取りに宿に帰ろうとする(行橋までの公共交通機関の便は1時間に1,2本)。
すると職員の人がそれはたいへんだろうと、事務室のパソコンにデータを転送し、スマートメディアの空きを作って撮影すればいいと言ってくれた。
それをお願いして、このあと5度もそれを繰り返して、結局借りたデジカメで礼書の必要な箇所の残りは全部撮影できた。
と同時に、借りたデジカメのバッテリも0となってしまった。
さらには、明日自分のパソコンを持参して、データを転送させてもらうつもりでいたら、
取り込んだデータを全部まとめてCD-Rに書き込んでくれた。
デジカメを借り、そのバッテリを使い果たし、その上CDまでもらってしまった。
もう頭が上がらない。
そういえば、ここんことずっと災難続きだが、「電難」(冷蔵庫・パソコン・浴室電球・エアコンのトラブル)以外の”無人車”・研究費の会計ミス、そして今日のデジカメバッテリ切れはいずれも完全に自分の責任。
しかもいずれも他人を巻き込み、迷惑をかけている。
ところが、その迷惑をこうむった人は皆嫌な顔ひとつせず、誠実に私のミスをカバーすべく頑張ってくれる。
自分の不甲斐なさ以上に申し訳なさと有り難さで涙が出る。
この後、役場にも行ったが、とにかく初めて訪れた豊津の人はいい人たち、という印象で終わった。
なるほど小笠原惣領家が気に入り、感謝した地なわけだ。
公共交通機関は乏しいが、心の”豊”かさでいえば確かにここは「みやこ」だ。
それにしても、いったいいつまで我が身のピンチは続くのか。