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今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

この時期にエアコンが故障

2025年07月05日 | 生活

なんと梅雨明けのこの時期に、名古屋宅のエアコンが故障した。

スイッチは入るものの、冷房がほとんど入らず、もっぱら送風(温風)のみの状態。
間歇的に冷房が作動するものの、室温を下げる前に温風になってしまうので、結果的に室温が上がってしまう。
名古屋宅は賃貸なので、管理会社に修理を依頼するも、修理可能なのは早くて来週末とのこと(ちなみにエアコンは19年使用)。

平日の昼は涼しい職場にいるからいいものの、夜から翌朝までの熱帯夜を無冷房状態で過ごさねばならない。
その間、室内はずっと30℃以上を保ったまま。

特に辛いのは、その室温での睡眠。

エアコンの冷房なしで、いかに涼感を獲得するか。
以下の工夫をした。

まず、就寝前に、浴槽に水を張って、冷水浴で全身を冷やす(気持ちいい)。

寝床から少し離した所に扇風機を置き、中程度の風を自分に向ける(つけっぱなし)。
ただし来る風は30℃以上なので、ちっとも涼しくはない。
さらに小さな冷風扇を寝床脇に置き、30℃未満のやや冷風を自分に向ける(が、風量が乏しいのでほとんど涼しくない)。

水を含んだタオルや吸水ポリマーの鉢巻を首とおでこに巻いて、冷感ポイントを刺激する。

だが、こんな程度では就寝中に暑くて目が醒める。

そこで、暗い中、ペットボトルに水を詰めた霧吹きで、両手足・顔面に吹きつける。
体表についた霧状の水の蒸発による気化熱によって、体表面がしばらく冷たくなる。

夜間の睡眠・覚醒を繰り返す中、この霧吹きを繰り返すことで、なんとか必要な睡眠量を確保して朝を迎えることができた。
その間室温はずっと33℃。
それでも手足は冷たくなっていた。

エアコン自体も(冷風扇・そして人体も)採用している”気化熱の原理”こそが最も効果的だということだ。


2025年7月5日はデマでも予言でもない

2025年07月04日 | 防災・安全

2025年7月5日に日本近海で大地震が発生するという。
これはデマでも予言でもない。

近未来作品のプロットに過ぎない。

なので躍起になって否定するのもおとなげない。

同様なことは、昔の「猿の惑星」や「ターミネーター」などあらゆる近未来作品に想定されるもの(小松左京の「日本沈没」も)。

ただ、それだけのこと。

それを本気にする方がどうかしている(幸い、日本人にはほとんどいない)。

それなら我々は、人間を支配する猿や殺人ロボットたちの出現も本気で怖がらなくてはならないのか。

ついでに、大地震が発生するという流言は、定期的に発生し、それはむしろ防災に役立っている。
地震発生後の流言の方が、マイナスの影響が大きい(関東大震災後)。

なので、情報リテラシーのない素朴なレベル(香港人はそのレベルに落ちてしまったらしい。これは共産党政府にとっては好都合)はとうに脱してほしい。


ミロTを着てミロ展に行く

2025年06月28日 | 作品・作家評

先日22日に八王子に行くために新宿駅で京王線に乗り換える通路を通った時、
私の大好きな「ミロ展」が都美術館で開催中であることを知った。
結構大規模な回顧展なようで、しかも7月6日までなので、週末の本日土曜の午前中に行くことにした(午後より混まないはず)。

ちなみに、ミロ展ではミロの絵がプリントされたTシャツ(ミロT)を買うのが楽しみで、すでに2着持っている。
もとより美術展ではその作家作品のTシャツが販売されるものだが、着用を前提とすると、ミロ以外は買う気になれない。
逆に言えば、ミロTならぜひ欲しい。

そのミロ展なので、ここぞとばかりに(日頃はもったいなくて着ない)ミロTを着て行く事にした。
ただし、モロにミロT着用でミロ展に行くのはいかにもミーハーチック(死語?)なので、上にベストを羽織る。


さて、そのミロ展だが、最初期の、ピカソ・セザンヌ風の自画像・風景画から始まり、
それが次第にミロ独自の絵画言語が形成されていく過程がよくわかる
(さらに彼が90歳で亡くなるまで、現代美術の最先端を突き進んでいたことがよくわかる)。
そして記号化された描画が何を意味するかという記号解読(ある意味、芸術鑑賞をぶち壊す作業)をしながら観て回る。

ただ「星座シリーズ」(右図)は具象画とも抽象画ともつかない線画が集まった世界なので、記号解読を諦めると、その途端、絵がまるで現代音楽のような不協和音たちの協奏による不思議な調和を醸し出し、とても心地よくなった。
この”目で見ただけで心地よくなる”ことが、私がミロの絵を好きな理由で、ミロの絵は、聴くように観ればいいのかと思った。


展示コーナーが終わってショップコーナーに達すると、ミロTが幾種類もあったが、いずれも適したサイズがなく、
またプリントもシャツの前全面ではなく、小さい四角に収まっているので、サイズが合っても欲しい類ではなかった。
その代わり、いつもは買わない図録を買った。
図録って、一度読んだだけで書棚の肥やしになるだけなので極力買わないようにしているが、
考えてみれば、ミロほど好きな画家なのに、彼の図録は持っていなかった(ミロT購入を優先したから)。

帰宅して、その図録を読むと、ミロは絵画の中に「沈黙の音楽」を探していたという。
ならばミロの絵を音楽的に観ることは、的外れな鑑賞態度ではなかったようだ。


八王子博物館に行く

2025年06月22日 | 東京周辺

こう暑い日の外出は、冷房の効いた郷土博物館めぐりに限る。

そこで、新しい八王子博物館に行った。

移転前の駅からやや遠い古い博物館には昔(2008年)行ったことあるが(→八王子日帰り旅)、八王子駅の南口にできた高層のスカイタワーに移転してからは行ってない。

さて、まず八王子に行くには、新宿から中央線ではなく、京王線に乗って京王八王子に行く。
そこから少し歩いて八王子駅に達する。

まずは地元の町中華で昼食をと思ったが、目当ての店は日曜定休と知ったので、博物館と同じフロアにある日高屋で妥協した(日高屋があるだけでありがたい)。

腹を満たして、八王子市郷土資料館が管理運営する「八王子博物館」に入る(無料)。


細かくブロック状に分かれた展示は、霊山・高尾山、八王子の元を作った八王子城、江戸時代の千人同心と八王子宿、幕末に富をもたらした養蚕のテーマに分かれている。

北条氏照(小田原北条家4代当主氏政の弟)の居城八王子城の御主殿跡からは、ベネチアガラスや景徳鎮の磁器の破片が見つかる中、陶器のほとんどは瀬戸・美濃産。

改めて確認できたことは、高尾山は小田原北条氏の支配以降、霊山として伐採が禁じられたため、珍しく自然林が残ったことと、高尾山の奥に連なる小仏城山は、北条氏の支配の時に関所が設けられ、それが城山の由来となったこと(すなわち城があったわけではない)。
ちなみに、小仏の関所は、江戸時代に高尾山麓の甲州街道沿いに移った。

また丁度、ボランティアによる八王子城落城秘話の紙芝居が上演されていた。

八王子の養蚕の歴史は古く、平安時代にはすでに盛んになっていて、その後は「桑都」(そうと)と称されるようになり、幕末の開国後は、横浜まで「絹の道」が開けた。

養蚕・織物産業は過去の遺物となっているが、東京で唯一の「日本遺産」に認定された八王子は、霊山・高尾山と合わせて「桑都」のアイデンティティを復活させて、観光にも力を入れている。
来年には、この南口のさらに南に「桑都の杜」という大きなスペースができ、そこに正式なミュージアムができるという。

巨大都市東京とは別の都内の都市(県庁並みの規模)八王子は、江戸東京とは別個の歴史・産業があり、その個性を今後も大いに発揮してほしい。


私設「本駒込気象台」配信中断

2025年06月22日 | お天気

私設「本駒込気象台」のネット配信が6月15日23時29分で中断(画面が更新されない)しています。

自宅のパソコンから観測情報を配信元の民間サーバーにアップしているのですが、そこから更新データが配信されない状態です。

ただ、同じサーバーの同じディレクトリを使っている、私設「日進気象台」は問題ないので、サーバーの問題ではないようです。

一方、このサーバーを経由しない、観測機販売元のアメリカにある Davis社のサーバー経由の観測情報は更新されています※。

もう1つの問題は、観測情報を送る自宅パソコンのWindowsが、常時作動しているべきアプリ(WeatherLink)を一定時間すると強制的終了してしまうようになりました(もちろん、私は設定変更していない)。
これにより、私が不在中の期間は、Davis社のサーバーも更新されません。
この問題も未解決です。

さらに、その民間サーバーにログインできないトラブルも発生しているため、中断中の画面にトラブルを表示することもできません。

以上のトラブル群により、しばらくご不便をおかけします。

※リンク先で閲覧できますが、ユーザー登録(無料)が必要です。→リンク先


6月の追加業務を終えたら

2025年06月17日 | お仕事

大学教員としての定型業務は、まずは授業(私は週7コマ)。そして学生指導、大学運営の委員会、そして学科・学部レベルの会議などだが、それらに追加して、割り当てられる業務がある。

今月の私には、まずはオープンキャンパスでのワークセッション、次いで教育実習生の巡回指導と2つ割り当てられた。
前者は初めての担当であり、それなりに試行錯誤と準備を要した。
後者は他県の遠方なので授業や会議にかち合わない日を調整する。
本日、後者が半日費やして終わり、今晩は軽い祝杯を予定して、大学に行ったら、7月以降の新たな業務割り当が2つ判明。

仕事ってこういうもんだ。
この歳でも常勤待遇なのだから、働き盛りの人たちと同等に割り当てられる。
しかも今の大学は生まれ変わりに必死なので、”過去経験の蓄積による効率化”が効かない。

開放感には浸れなかったが、意地でも祝杯は予定通り実行した。


都議選の期日前投票してきた:'25

2025年06月15日 | 時事

スタートしたばかりの都議選だが、わが区では候補者が3名だけで、迷うことないため、本日期日前投票してきた。

人ではなく政党で選んだ。

選んだ基準は、増税しか選択肢のない政党は御免被るということ。
この政党(たち)が政権を取っている限り、国民は重税に押し潰されていく。
必要に応じて税を調整する柔軟さのない硬直した頭をあえて選ぶ理由はない。

名古屋市という減税をして財政を豊かにした都市に半分暮らしている身からすれば、それができる(≠無定見な減税)人たちにこそ上に立ってほしい。


ご利益を祈らない参拝

2025年06月10日 | パワー・スピリチュアル

寺社に参拝するのは、何のためか。

ご利益(りやく)を祈るためではないようにしたい。

ご利益すなわち個人の欲の実現を超越者(神仏)に祈るのは、邪道であるから
※:現世的な我欲の実現に執心することは、その人の霊的ステージを下げこそすれ、上げるものではない。

もっとも、参拝者を迎える寺社側が、ご利益を”売り”にしているのが現実だ。
寺社自らが邪道を推奨するのは、経済行為(商売)を第一としているため。
もちろんご利益を謳っているのは、寺社を経営している人間たちで、本尊・御神体ではない。

なので私は、境内で経営スタッフの前を素通りして、直接神仏に向かい、祈りを捧げる。

祈りは、自分の願望を神仏に投げ渡すことではない。
神仏に対する崇敬の念を一心に送ること。
この念は、言葉(真言など)として唱える場合もあるが、表象のない状態=無心になる場合もある。
その瞬間、私の心はすべての雑念が消えて純粋になり、
自分と神仏との間が繋がる。
その充実感を得て、参拝を終える。

確かに、願いを込めて祈る場合もある。
その時は、他者(死者を含む)のために祈る場合に限られる。

もちろん、寺社は参拝の場所として、リアルな社会の中で存続し続けなけらばならないため、
経済活動は否定されるものではない。
ただ、それと自分の欲の実現とを結びつけないだけだ。
なので、この空間の維持費に些少ながら協力する気持ちとして、賽銭を投じ、あるいは御影などを購入する(上の理由でお守りは購入しない)。


車のワイパーが動かなくなった

2025年06月06日 | 生活

1ヶ月くらい前の雨の朝、出勤するために、車(フィアット500)に乗ってフロントウィンドウのワイパーのスイッチを入れた。
するとワイパーは一瞬動いたものの、元の位置に戻った状態で動かなくなった。
スイッチは動くのだが。
出勤時間なので、試行錯誤する余裕はなく、バスでの出勤に切り替えた。

帰宅後、再びキーを入れてワイバーのスイッチを入れるものの、全く反応しない。
以前の経験から、これはワイパーのヒューズが切れたと踏んだ。
ならば、切れたヒューズと同じものをカー用品ショップで数百円で買って、自分で交換すれば済む。

そう思って車の説明書を開いたものの、ワイパーのヒューズの場所とアンペアが載っていない。
ディーラーに電話して問い合わせたものの、ディーラーでもきちんと把握できないらしい。

仕方ないので、2箇所あるヒューズボックスのヒューズを1つ1つ取り出して、切れているか確認したら、どれも切れていない。
すなわち、原因はヒューズでないらしい。

こうなったらお手上げなので、ディーラーに予約して、車を持ち込む。
ディーラーで調べたところ、配線レベルではなく、ワイパーを動かすモーターそのものの故障の可能性を指摘された。
そしてモーターの在庫がないので、入荷待ちとなる。

その間、雨の日は運転できない。
本当は5月に茶臼山カエル館に泊まりで行く予定だったが、現地で雨に降られたら帰ってこれないので予定をキャンセル。
梅雨入り直前の不安定な天気が続く中、入荷待ちと、ディーラーの予約可能な日とこちらが持ち込める日、そしてその日の天気予報が雨でない日を合わせた結果、
1ヶ月ほどかかった今日、モーター交換の修理1時間ほどで、ワイパーが無事に動いた。
モーターはボディ内にあるので、フロント下の表面を壊さざるを得ず、そこの部品も交換。
しめて(税込)10万円。
旅行数回分の出費だ。
実際5月は旅行に行けず仕舞いで、6月も行かないことにすればいい。
それを見越して、7月に茶臼山の宿を予約した。


死者の冥福を祈る方法

2025年06月03日 | 仏教・寺巡り

死者の冥福を心から祈りたい場合、もちろん自分の気持ちをこめて祈ればいいのだが、
小さな自分だけの微弱な行為では、冥福をもたらすにはパワーが足りないと心配なら、それなりの方法がある。

そもそも、浄土系なら「南無阿弥陀仏」十遍(「なむあみだぶ」を9回、最後に「なむあみだぶつ」)でいいかもしれない。

ここで紹介したいのは、その浄土に行けそうもない亡者をも成仏させる最強のパワーのあるマントラ(真言)、光明真言だ。

「おん、あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん」

合掌して、これを七遍唱える。🙏

この真言は、毘盧舎那仏(べいろしゃのう)などの五智如来に祈るもの(諸仏の力を借りて、冥福を祈る)だが、真言密教の専売ではなく、曹洞宗など他宗でも唱えられる一般的なものだ。

合掌した手から光が発して、死者に届くことをイメージする。