博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

再び北京

2009年08月23日 | 留学
承徳から北京に戻ってきました。今日の午後は海澱で専門書をあさってました。で、明日はまた朝一で秦皇島に行ってきます。それにしても暑い……
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『大秦帝国 第1部』その5

2009年08月22日 | 中国歴史ドラマ
『大秦帝国』第30~37話まで見ました。

熒玉の調査によると太子駟は放浪の末山奥の村に辿り着き、そこの里正の世話になりながら勉学に励んだり、村娘と恋仲になったりしていたとのこと(^^;) 意外なことに庶民の暮らしぶりを知って真人間になった太子駟ですが、ここでいきなり子役から大人の役者へと交替。なんつーか、いきなり老けすぎです……

一方、魏の宮廷では滅秦を主張する龐涓を尻目に趙への侵攻を決定。嫌々主将にさせられた龐涓は援軍としてやって来た斉の孫臏の計略により、桂陵の戦いで大敗を喫します。

それから唐突に十数年の歳月が流れ、魏はまたもやむずがる龐涓を主将として韓へと侵攻。申不害の指揮のもと韓軍は魏軍の攻撃をよく持ちこたえ、援軍として駆けつけた斉軍は前回と同じく孫臏の計略により、馬陵の戦いによって龐涓を敗死に追い込みます。ここで有名な「龐涓、此の樹の下に於いて死す」のエピソードが出て来ますが、龐涓は孫臏にや倒されたと言うより、味方のはずの公子卬と太子申に陥れられ、やむを得ず馬陵道に赴いたということになってますね。

秦は咸陽への遷都を進める一方で、今こそ魏に奪われた河西の地を奪回する好機と、商鞅はこの十数年の間に錬成した新軍を率いて魏へと侵攻。魏は公子卬を主将として迎え撃ちます。元々の『史記』の話だと、商鞅は魏にいた頃に公子卬と付き合いがあり、その誼で講和の会談をしようと招き寄せたところを捉えて捕虜にしたということになってたはずですが、ドラマの方では商鞅は魏にいた頃から公子卬とは政敵同士という設定なので、この騙し討ちのエピソードは無かったことに……

で、なぜかこの2人が高台に肩を並べてお互いに自軍を指揮するのですが、結局秦軍が勝利を収めて公子卬を人質に。魏の宮廷との交渉の末に河西の地の奪回に成功したのでありました。この功績によりに商・於の地に封じられて商君となり、得意の絶頂の商鞅ですが、良き理解者である孝公は病気がちとなり、世族の変法に対する不満も高まりと、ボチボチと風向きが怪しくなってきました。

で、今回のツッコミ所。

○韓での申不害の変法が失敗だったということになっている件。
……このドラマでは商鞅のライバルとして噛ませ犬的なキャラに描かれていた申不害ですが、これはあんまりだ(;´д⊂)

○魏の相として恵施が登場。
……恵施と言えば名家に属する思想家で荘子の友達と言った方が通りは良いかと思います。張儀と絡んだりするので、ここで登場させるより張儀が出て来るらしい第2部で登場させた方が良かったような気がするのですが……
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現在北京

2009年08月20日 | 留学
取り敢えず北京まで無事到着。承徳、秦皇島行きの切符もゲットしました。今日は王府井近辺の書店を物色し、アニメ三国演義のDVDをゲット。承徳から戻ってきたら海澱にも足を伸ばしてみる予定。
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明日出発

2009年08月19日 | 留学
ここ2~3日にわか雨が降り、ようやく涼しくなってきました。

で、明日いよいよ北京・承徳へと向かうわけですが、21日・22日を承徳観光に充てるほかはかなり行き当たりバッタリになりそうです。明日の昼1時半頃には北京駅に着くのですが、そこからの行動すらちゃんと考えてません(^^;) 取り敢えず駅の切符売り場で承徳・秦皇島行きの切符を物色し、宿にチェックインした後、時間と天候の具合を見て国子監・孔子廟方面に行くか、本屋巡りをするか決めますか。

それと適当な頃合いを見計らって『大秦帝国』の感想を予約投稿しておきます。
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『大秦帝国 第1部』その4

2009年08月17日 | 中国歴史ドラマ
『大秦帝国』第23~29話まで見ました。

孝公は墨家に襲撃されついでに墨家の総本山神農山に乗り込み、鉅子の禽滑釐と対面。論戦の末、何とか血の気の多い墨家の誤解を解くことに成功。墨家についてはかなり武侠チックな設定になってますね。まあ、「墨侠」というタイトルの論文もあるぐらいで、元々そういう要素があるわけですが。下の画像は墨家のユニフォーム。



黒と白で陰と陽を表しているということなんでしょうけど、ボロをまとっている『墨攻』の革離あたりとは全くイメージが違います(^^;)

その頃、都の櫟陽では郿県の農村から太子府に治められた租税の穀物に砂利が混ざっていたことが発覚。実はこれは変法に反発する世族の長老格甘龍が密かに仕組んだことなのですが、ウラを知らない太子駟は「おのれ、バカにしやがって!」とばかりに逆上し、兵を引き連れ村まで駆けつけ、村民を虐殺。で、ブチ切れた村民が暴徒と化して櫟陽まで押しかけるという事態となります。

商鞅は太子駟の代わりに守り役の公子虔を村民の面前で鼻削ぎの刑に処したうえ、太子府管轄の土地を没収、村民はすべて爵位昇級のうえ3年間の免税などを約束し、事態を収束させます。しかし都に戻った孝公はなおも怒りが収まらず、更に太子を庶民の身分に貶し、山野に放逐してしまいます。公子虔は公子虔で「商鞅の野郎、今まで支援してやったのにこのような恥辱を与えるとは!」と激怒してますが、そもそもあんたの教育のせいで太子駟の性格がおかしくなったんだから、この件は自業自得だろうとツッコまざるを得ない(^^;)

この件により大良造に昇級した商鞅ですが、更に孝公の妹熒玉との結婚話が持ち上がります。自分には白雪という婚約者がいると反発する商鞅ですが、白雪は「変法を進めるためには、公主との結婚によって孝公や太后など公室の後ろ盾を得ることが必要」と、自ら身を引いてしまいます。

熒玉との結婚後、商鞅は新都咸陽の建設に打ち込み、熒玉は甥の太子駟の捜索に出発。孝公に廃太子を言い渡された彼ですが、商鞅の解釈によればそれはあくまでも孝公の私的な処置で、秦国の法律上はまだ太子の地位を保持しているとのこと。商鞅としては太子を発見次第自分の手元で保護し、折を見て孝公と引き合わせたいということですが…… おまけに魏の国でキナ臭い動きがあるということで、次のパートでは久々に西毒龐涓など魏の面々の顔が拝めそうです。

で、今回のツッコミ所。

このあたりの回で秦の地方官吏として樗里疾という人物が登場しますが、樗里疾って秦の恵文王(すなわち作品中で放逐された太子駟)の異母弟で、これよりもう少し後の時代に活躍した人物のはずですが…… 取り敢えず作品中に出て来る樗里疾は恵文王の弟の樗里疾とは同名の別人と解釈しておくことにします(^^;)
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アニメ『三国演義』第9~16話

2009年08月16日 | その他映像作品
アニメ『三国演義』ですが、第9~16話まで見ました。

赤壁の戦いを区切りにOP・EDテーマが変わりました。そんなとこまで凝らなくてもいいのに…… OPの映像を見てると老けた孔明とか孟獲とかが出て来るのですが、孟獲ら南蛮人のナリがまんまアメリカインディアンなのが何とも……(^^;)

ストーリーは三顧の礼から入蜀の手前あたりまでですが、長坂坡と赤壁の回が所用で見れませんでした。レコーダーがあれば……と言いたいところですが、赤壁の回に至ってはそもそも放映時間前にテレビの電波が切れていたので、所用が無くても見れないものは見れないのでありました。トホホ……

しかしこのアニメ、官渡の戦いを割と詳しく描いたと思ったら、単福こと徐庶が劉備の軍師となるくだりを大幅に端折ったり、どうでもいい所は本当にどうでもよくカットしますね(^^;) 呉に至っては結局孫堅と孫策は全く出て来ませんでしたし。

で、本日放映の第16話では、馬超が康居から羅馬帝国(ローマ帝国)の兵士を引き連れて来たとか何とか言ってました(^^;) 前漢の陳湯が西域でローマの兵士と戦ったかという話を真に受けたんでしょうか。あと、「羅馬帝国」よりは「大秦国」の方がそれっぽい表現になると思うのですが……
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古装片撮影と動物愛護

2009年08月14日 | ニュース
放映が待たれる高希希監督の『三国志』ドラマですが、このドラマに関してこんなニュースが……

「ドラマ撮影で馬6頭が死亡、虐待疑惑が浮上」(『レコードチャイナ』)

で、元記事はこちら。

「《三国》劇組虐馬遭抗議 導演高希希称是安楽死」(『華龍報』:『重慶晩報』より転載)

要するにドラマ『三国』撮影のために多くの馬が使い潰されているということで動物保護団体が問題視しているという話ですが、古装片を見ていて、これは動物が本当に怪我をさせられたり死んでいるんじゃないの?というシーンが結構出て来るので、やっぱりなあという感じです……

そういや今年の春に放映されていた『鄭和下西洋』では、唐国強演じる燕王がデカい金魚を水槽から取り出して生きたままバリバリ食べるというシーンがあり、模造品か何かを使っているのだろうと思っていたら、インタビューで本物の魚を食べたと言っているのを聞いてドン引きしましたっけ……
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『大秦帝国 第1部』その3

2009年08月14日 | 中国歴史ドラマ
『大秦帝国』第16~22話まで見ました。

3回目の会見でようやく法家の道を説き、孝公に認められた商鞅。2人は意気投合して変法を決意。商鞅は左庶長として阡陌制の導入、奴隷の廃止、世族の封地の縮小、私闘の禁止などの政策を次々に敢行。ここで木を城内から城門まで移した者に賞金を与えると宣言し、柱を移した者に本当に賞金を与え、民の法への信頼を得たという有名なエピソードも登場。

しかし地方の末端では変法が行き届かず、特に郿県では水利をめぐって各部族が私闘をおこしたり、封地の縮小に反抗したりする始末。しかしこれも商鞅が直々に郿県に赴き、身分に関係なく関係者を処刑することで解決。ここで郿県の県令が責任を取って処刑される前に「礼は庶人に下さず、刑は大夫に上さず」(礼制は庶民には適用されず、刑罰は貴族には適用されない)と格言を持ち出して反発しますが、ここで商鞅が「刑は大夫に上す!変法は開始されたのだ!」と啖呵を切るのが実に格好いい(^^;)

一方で商鞅や、変法の成果を視察するため西方にお忍び旅に出た孝公に謎の刺客集団の魔の手が…… 実は彼らは変法を暴政と見なす墨家集団だった!……って、こんな所でいきなり武侠的な展開が(^^;) 墨家側も秦の兵隊に包囲されて「23人です」と冷静に兵の数を確認したりしてるし。しかし水戸黄門や暴れん坊将軍的な存在に対してすぐに正体を見破り、しかも己が正しいと信じて容赦なく襲撃するという展開がいかにも中国の時代劇という感じです。『還珠格格』や『戯説乾隆』でもそういう展開があったよなあ……

で、今回のツッコミ所。

○太子駟の守り役となった公子虔。太子にペットの白ウサギを殺させて帝王学を仕込もうとしてますが、明らかに教育法間違ってるよ……

○戦争シーンとして序盤の少梁の戦いよりリアルで見応えがある郿県の部族闘争(^^;)
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暑いものは暑い

2009年08月12日 | 留学
ここ2~3日ぐらいでようやく知り合いに会うようになりました。

こちらの気候ですが、ここんところ雨も降らず、最高気温31度~最低気温22度ぐらいの日が続いてます。日本ほどの湿気は無いとはいえ、きっちり暑いです。何より冷房器具が扇風機しか無いのが辛い…… 「クソ暑い8月は長春で避暑」という目論みがすっかり外れてます(^^;) 聞くところによると長春も以前はこれほど暑くはなかったのですが、温暖化のせいか年々夏の気温が上がり、今年は特に暑いとのこと。ああ……

で、日本に帰る前から読みかけていた李学勤の『東周与秦代文明』と、このほど『于省吾著作集』として中華書局から同氏の他の著作とともにリプリントされた『甲骨文字釈林』を読了。今は『華夏辺縁』の王明珂の新著『遊牧者的抉択』や、日本から持って来た中公新書の藤田勝久『司馬遷の旅』を読んでます。

『司馬遷の旅』は何だか無性に中国旅行記を読みたくなって持参。論自体は正直どうでもいいのですが、旅行記として読むとそれなりに面白い(^^;) これと一緒に岩波文庫の桑原隲藏『考史遊記』も持参しました。宇野哲人の『清国文明記』芥川龍之介の『上海游記 江南游記』も持って来れば良かったかなあ……
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やる夫武侠ネタ

2009年08月10日 | 雑記
『やる夫で読む』シリーズにいつの間にか武侠ネタが……

【東邪西毒】やる夫達と楽園の瑕【AshesOfTime】(『AAまとめブログ』より)

王家衛監督の映画『楽園の瑕』(原題『東邪西毒』)が元ネタということで、これは支援せざるを得ない(^^;)
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