博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『大秦帝国 第1部』その4

2009年08月17日 | 中国歴史ドラマ
『大秦帝国』第23~29話まで見ました。

孝公は墨家に襲撃されついでに墨家の総本山神農山に乗り込み、鉅子の禽滑釐と対面。論戦の末、何とか血の気の多い墨家の誤解を解くことに成功。墨家についてはかなり武侠チックな設定になってますね。まあ、「墨侠」というタイトルの論文もあるぐらいで、元々そういう要素があるわけですが。下の画像は墨家のユニフォーム。



黒と白で陰と陽を表しているということなんでしょうけど、ボロをまとっている『墨攻』の革離あたりとは全くイメージが違います(^^;)

その頃、都の櫟陽では郿県の農村から太子府に治められた租税の穀物に砂利が混ざっていたことが発覚。実はこれは変法に反発する世族の長老格甘龍が密かに仕組んだことなのですが、ウラを知らない太子駟は「おのれ、バカにしやがって!」とばかりに逆上し、兵を引き連れ村まで駆けつけ、村民を虐殺。で、ブチ切れた村民が暴徒と化して櫟陽まで押しかけるという事態となります。

商鞅は太子駟の代わりに守り役の公子虔を村民の面前で鼻削ぎの刑に処したうえ、太子府管轄の土地を没収、村民はすべて爵位昇級のうえ3年間の免税などを約束し、事態を収束させます。しかし都に戻った孝公はなおも怒りが収まらず、更に太子を庶民の身分に貶し、山野に放逐してしまいます。公子虔は公子虔で「商鞅の野郎、今まで支援してやったのにこのような恥辱を与えるとは!」と激怒してますが、そもそもあんたの教育のせいで太子駟の性格がおかしくなったんだから、この件は自業自得だろうとツッコまざるを得ない(^^;)

この件により大良造に昇級した商鞅ですが、更に孝公の妹熒玉との結婚話が持ち上がります。自分には白雪という婚約者がいると反発する商鞅ですが、白雪は「変法を進めるためには、公主との結婚によって孝公や太后など公室の後ろ盾を得ることが必要」と、自ら身を引いてしまいます。

熒玉との結婚後、商鞅は新都咸陽の建設に打ち込み、熒玉は甥の太子駟の捜索に出発。孝公に廃太子を言い渡された彼ですが、商鞅の解釈によればそれはあくまでも孝公の私的な処置で、秦国の法律上はまだ太子の地位を保持しているとのこと。商鞅としては太子を発見次第自分の手元で保護し、折を見て孝公と引き合わせたいということですが…… おまけに魏の国でキナ臭い動きがあるということで、次のパートでは久々に西毒龐涓など魏の面々の顔が拝めそうです。

で、今回のツッコミ所。

このあたりの回で秦の地方官吏として樗里疾という人物が登場しますが、樗里疾って秦の恵文王(すなわち作品中で放逐された太子駟)の異母弟で、これよりもう少し後の時代に活躍した人物のはずですが…… 取り敢えず作品中に出て来る樗里疾は恵文王の弟の樗里疾とは同名の別人と解釈しておくことにします(^^;)
コメント
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