西村克仁『日本は中国でどう教えられているか』(平凡社新書、2007年11月)
現役の社会科教師が半年間中国北京の中学・高校の歴史の授業を見学・調査し、生徒や教員と接した経験をまとめたものです。中国の歴史教科書自体は日本語訳も出ていますので、読みどころとなるのは日本の歴史教育・教科書との比較や、生徒・教職員の本音ということになります。
日本との比較については、日本の歴史教科書は内容の客観性を何より重視している反面で、それが同時に記述のわかりにくさにつながっています。また入試や定期テストでも問われるのは主に項目・用語の暗記で、それが歴史教育をつまらないものにしているという批判があるのは皆様ご承知の通り。
一方中国の歴史教科書はと言うと、記述や歴史の流れが非常にわかりやすい反面で、内容の客観性には疑問があり、また入試などの試験では項目・用語の知識の有無よりは歴史認識をしっかり暗記しているかどうかを問われるということで、日本とは違って入試で為政者の言動や政治問題についても積極的に出題されるとのこと。
こういう比較を見ると、客観性と話のわかりやすさは両立できないものなのかという絶望すら感じるのですが…… しかし入試に出るかどうかがキーポイントというのは両国とも共通なんですなあ。
あとは、中国の歴史教育では個々の戦争の経過や両軍の戦力比較・戦術についても詳しく触れ、ミッドウェー海戦なんかも日本の教科書よりずっと詳しく解説しているとか、張作霖爆殺事件の扱いが所詮軍閥の親玉の死ということで意外と小さいとか、文化大革命はやっぱり否定的に扱われているらしいといったあたりが興味深いところ。
本書では北京の中高生の生の声を多数収録していますが、日本の漫画やアニメ、音楽やブランドは大好きだけど過去の日本や歴史を正視しない日本の政治家は嫌いだというような意見が目立ちます。
彼ら彼女らの意見の多くは、日本には一般の善良な日本国民とは別に少数の右翼分子というのがいて、そいつらが歴史認識を歪曲しようとしているんだという一種のファンタジー(これはそもそも中国政府の公式的な認識であるわけですが)を前提としており、歴史教育・歴史認識の分野で日中交流を進めていくには日中双方が乗り越えるべき壁がいくつもあると感じました……
なお、著者は中国側の言い分にも多々ツッコミを入れていることから左側に寄りっぱなしな人というわけでもなさそうで、本書の内容は右にも左にも片寄らないものとなっています。
現役の社会科教師が半年間中国北京の中学・高校の歴史の授業を見学・調査し、生徒や教員と接した経験をまとめたものです。中国の歴史教科書自体は日本語訳も出ていますので、読みどころとなるのは日本の歴史教育・教科書との比較や、生徒・教職員の本音ということになります。
日本との比較については、日本の歴史教科書は内容の客観性を何より重視している反面で、それが同時に記述のわかりにくさにつながっています。また入試や定期テストでも問われるのは主に項目・用語の暗記で、それが歴史教育をつまらないものにしているという批判があるのは皆様ご承知の通り。
一方中国の歴史教科書はと言うと、記述や歴史の流れが非常にわかりやすい反面で、内容の客観性には疑問があり、また入試などの試験では項目・用語の知識の有無よりは歴史認識をしっかり暗記しているかどうかを問われるということで、日本とは違って入試で為政者の言動や政治問題についても積極的に出題されるとのこと。
こういう比較を見ると、客観性と話のわかりやすさは両立できないものなのかという絶望すら感じるのですが…… しかし入試に出るかどうかがキーポイントというのは両国とも共通なんですなあ。
あとは、中国の歴史教育では個々の戦争の経過や両軍の戦力比較・戦術についても詳しく触れ、ミッドウェー海戦なんかも日本の教科書よりずっと詳しく解説しているとか、張作霖爆殺事件の扱いが所詮軍閥の親玉の死ということで意外と小さいとか、文化大革命はやっぱり否定的に扱われているらしいといったあたりが興味深いところ。
本書では北京の中高生の生の声を多数収録していますが、日本の漫画やアニメ、音楽やブランドは大好きだけど過去の日本や歴史を正視しない日本の政治家は嫌いだというような意見が目立ちます。
彼ら彼女らの意見の多くは、日本には一般の善良な日本国民とは別に少数の右翼分子というのがいて、そいつらが歴史認識を歪曲しようとしているんだという一種のファンタジー(これはそもそも中国政府の公式的な認識であるわけですが)を前提としており、歴史教育・歴史認識の分野で日中交流を進めていくには日中双方が乗り越えるべき壁がいくつもあると感じました……
なお、著者は中国側の言い分にも多々ツッコミを入れていることから左側に寄りっぱなしな人というわけでもなさそうで、本書の内容は右にも左にも片寄らないものとなっています。