博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『モンゴル時代の出版文化』

2007年08月09日 | 中国学書籍
宮紀子『モンゴル時代の出版文化』(名古屋大学出版会、2006年1月)

前々から気にはなってた本なのですが、ようやっと手にとって読んでみました。内容は表題の大元時代の出版文化のほか、儒教政策、言語、モンゴル帝国と高麗との深い関係、地図・地理認識(これについては同じ著者によるオールカラー図版入りの『モンゴル帝国が生んだ世界図』という本が今年6月に日本経済新聞社から出版されました)、朝鮮や日本への文化的影響など多岐にわたっています。

この時代の文芸といえば元曲や小説ということになるでしょうが、今までこうした作品は科挙の中止によって落ちぶれた文人が手慰みに作ったもので、民間の娯楽のために供されたというような説明がなされてきましたが、本書ではこのような文芸は国家による儒学振興や出版支援などの文化政策の裏付けがあって発展したものであり、作品を作ったのも受容したのも宮廷人や官僚であったとし、この時代の文化観の塗り替えをはかっています。

当時の士大夫が国家から冷遇されていたという今までのイメージも実態とかけ離れており、実際は保挙制度によって地方のすぐれた文人が発掘・登用され、また出版に値する書物が見つかれば国家がその出版を請け負うというような態勢が敷かれていたとのこと。

個人的に面白かったのは『直説通略』など、『通鑑』を節略した白話通史本の話です。『直説通略』が大元の国家事業として出版された可能性が高いことから、この『直説通略』の元になった『十八史略』も、従来言われてきたような「寺子屋の教科書」のようなものではなかったのではないかという疑問が出され、更にはフレグ・ウルス(イル・ハン国)でラシードゥッディーンによって『集史』が編纂されたのも同時期のことであり、この頃各地のモンゴル政権で通史編纂の気風が興っていたのではないかと話が広がっていきます。

また『五代史平話』『宣和遺事』など当時の平話や元曲は『直説通略』や、その他の『通鑑』節略本をネタ本としており、それらの通史本と同様に遊牧民族に肩入れする傾向が見られ、『三国志平話』が、最後に匈奴の貴種劉淵が西晋を滅ぼして大団円を迎えるという筋になっているのもその影響ではないかと指摘します。

モンゴルに興味は無くとも、中国学に興味のある人は一読すれば何かしら面白いと思える話題や指摘が見つかると思います。ただ、モンゴル史の先達杉山正明氏と同様、明代暗黒史観を採っているのは何とも残念な気がしますが…… 

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4 コメント

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転換 (飯香幻)
2007-08-09 22:42:45
うわー。大学時代に習ったコトが見事にひっくり返るですー。そーか、やさぐれた下級知識人の作品じゃなかったんだー。平話。
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Unknown (さとうしん)
2007-08-09 23:35:33
>飯香幻さま
あとは大元朝廷の関羽信仰とか、『三国志』関係の話題にも結構紙幅を割いてます。結構分厚い本で話題が多岐にわたっているので、面白そうなところだけを拾い読みするのもありかと。
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Unknown (川魚)
2007-08-15 06:47:52
「元」は、もう「大元」や、いうことになってしまっておるのでせうか?

*故宮が全館改装、と何ヶ月かまえにニュースでありましたが、
あれはウソで、今年8月2日に、やっと改装し上がりました(笑
とかいうて、まだあたらしい児童室とかマルチメディア室は構築中なんですが~。
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大元 (さとうしん)
2007-08-15 22:02:32
>川魚さま
大元の国号は『易』の「大哉乾元」に由来しており、当時の人々が(あるいはそれより少し後の人々も)国号を「元」と略称してはいけないと認識していたという史料的根拠があるということで、著者は敢えて「大元」の語を使っているとのことです。

少なくとも当時の官僚・文化人レベルではそのように認識していたということで問題ないようです。
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