小林登志子『五千年前の日常 シュメル人たちの物語』(新潮選書、2007年)
同じ作者が中公新書で出した『シュメル 人類最古の文明』が面白かったので、こちらも読んでみることに。こちらも前著と同様、シュメル人の生活や信仰などについてまとめているのですが、個人的にウケたのが、人類最古の女王の可能性があるクババ女王の話。彼女の名は出土資料である『シュメル王名表』の中に見えるのですが、作者はそれだけでは実在したとは確定できず、実在を証明するには彼女が実際に使用した印章などが発見される必要があるとしています。
で、翻って私の専門である中国先秦史に思いを致すと、その手の王名表に名前が見えると言うだけで、余裕で実在していたことにされると思います。というか、実際にされてきました(^^;) そう考えると、中国史での人物の実在認定はかなりいい加減ですよね……
内田樹『街場の大学論』(角川文庫、2010年12月)
作者の主に大学教育に関するエッセーなどを集めた本ですが、第7章の「研究者に仲間入りするためには」にかなり励まされた。いや、これで励まされてはいかんのではないかという気もするのですが(^^;)
そして同章では何のために論文を書くのかという話がまとめられているのですが…… 「他の人の話を読んだり聞いたりして感じた『なんか足りない』『どこか違う』という感覚を時間をかけてていねいに観察してみてください。そこからオリジナルな研究が始まります。そこからしか始まりません。」(本書206~207頁)これは全くその通りですね。
菊池良生『警察の誕生』(集英社新書、2010年12月)
日本の江戸時代の目明かしといい、イギリスのシーフ・テイカーといい、犯罪捜査要員の末端が実は犯罪者と紙一重というのはどこでも一緒なんだなあと。そういや前に読んだ『清国作法指南』でも、夜警や捕頭も泥棒の一味という話が出てましたね。
吉川忠夫『王羲之 六朝貴族の世界』(岩波現代文庫、2010年10月)
王羲之の伝記本ですが、作者の専門柄、王羲之と道教との関わりについて割と紙幅を割いてます。実は私が知りたかったのもその点なので、個人的なニーズには合ってたわけですが。
同じ作者が中公新書で出した『シュメル 人類最古の文明』が面白かったので、こちらも読んでみることに。こちらも前著と同様、シュメル人の生活や信仰などについてまとめているのですが、個人的にウケたのが、人類最古の女王の可能性があるクババ女王の話。彼女の名は出土資料である『シュメル王名表』の中に見えるのですが、作者はそれだけでは実在したとは確定できず、実在を証明するには彼女が実際に使用した印章などが発見される必要があるとしています。
で、翻って私の専門である中国先秦史に思いを致すと、その手の王名表に名前が見えると言うだけで、余裕で実在していたことにされると思います。というか、実際にされてきました(^^;) そう考えると、中国史での人物の実在認定はかなりいい加減ですよね……
内田樹『街場の大学論』(角川文庫、2010年12月)
作者の主に大学教育に関するエッセーなどを集めた本ですが、第7章の「研究者に仲間入りするためには」にかなり励まされた。いや、これで励まされてはいかんのではないかという気もするのですが(^^;)
そして同章では何のために論文を書くのかという話がまとめられているのですが…… 「他の人の話を読んだり聞いたりして感じた『なんか足りない』『どこか違う』という感覚を時間をかけてていねいに観察してみてください。そこからオリジナルな研究が始まります。そこからしか始まりません。」(本書206~207頁)これは全くその通りですね。
菊池良生『警察の誕生』(集英社新書、2010年12月)
日本の江戸時代の目明かしといい、イギリスのシーフ・テイカーといい、犯罪捜査要員の末端が実は犯罪者と紙一重というのはどこでも一緒なんだなあと。そういや前に読んだ『清国作法指南』でも、夜警や捕頭も泥棒の一味という話が出てましたね。
吉川忠夫『王羲之 六朝貴族の世界』(岩波現代文庫、2010年10月)
王羲之の伝記本ですが、作者の専門柄、王羲之と道教との関わりについて割と紙幅を割いてます。実は私が知りたかったのもその点なので、個人的なニーズには合ってたわけですが。