博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『日本に古代はあったのか』

2010年06月01日 | 日本史書籍
井上章一『日本に古代はあったのか』(角川選書、2008年7月)

先日取り上げた本郷和人『選書日本中世史1 武力による政治の誕生』で紹介されていた本ですが、面白そうなのでこちらも読んでみることに。

本書は宮崎市定ら京都学派に属する中国史研究者が後漢末から三国あたりで古代から中世へと移り変わるとしているのに合わせ、日本史の方でも邪馬台国の時代から中世が始まった、すなわち日本に古代は無かったと考えるべきであること、ヨーロッパでも英・仏・独や北欧などはいきなり中世から有史時代が始まったと見なされており、中世から歴史が始まるという見方自体は突飛なものではないことなどを論じています。

ここまでは面白く読ませて頂きました。しかし、鎌倉時代の前後でを古代から中世へと移り変わったと見なす歴史観がどのようにして出来上がったかというあたりから、話の雲行きが怪しくなります。

著者はそれを、関東出身あるいは東大出身の研究者が、朝廷のあった関西を貶め、自らの出自である関東を称揚したいという「関東史観」によって醸成されたものだと言うのですが、関西人である私の目から見ても「それは無いわ」という感じです…… はっきり言うと関西人のひがみにしか見えません。

個人的にこういう東京に対してむやみやたらに敵意をむき出しにする論調は好きになれないし、話のスケールが急速にしぼんでいくしで、読み進めて行くにつれ失望の度合いが深まっていきました(-_-;) この著者には「アンチ巨人も巨人ファン」という言葉を贈りたいと思います。(著者の名前でググってみると、熱烈な阪神ファンのようですしね。)

日本史の研究者が鎌倉時代の前後に時代の画期を置きたがるのは、本郷和人『武力による政治の誕生』に言うように、武士という存在に重きを置こうとする態度に原因を求めるべきであって、関西という土地柄が嫌いだからその歴史的な役割を貶めようとしたわけではなかったと考えるのが合理的だと思うのですが……

ただ、邪馬台国から中世論(と応仁の乱前後から近世論)については卓見であり、これを中心に述べた本書の前半部は一読の価値があります。そもそも古代・中世・近世・近代という時代区分自体が西洋の学術の産物でありますし、この区分を受け入れる以上、日本史の方もヨーロッパの年代観に合わせるようにするのが筋だと思うのですよ。私の専攻では邪馬台国から古代だろうと中世だろうと何の被害も無いので、気軽に言いますけどね(^^;)
コメント (2)
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