博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『大明王朝1566』その1

2008年07月08日 | 中国歴史ドラマ
先日上海新天地で購入したDVD『大明王朝1566 ―嘉靖与海瑞―』(全46話)をボチボチと見てます。

この物語の主人公は明朝皇帝嘉靖帝(世宗)と、清官として知られた海瑞の2人。嘉靖帝は子供の無かった従兄の正徳帝(武宗。この人は明朝皇帝の中でも極め付きの暴君というか奇人で、彼をネタにしたドラマも色々とあるようですが、ここでは省略)の後継として帝位を継ぎましたが、即位するやいなや、本来なら皇室の祖先祭祀で先帝正徳帝の父親である弘治帝(孝宗)を父として祀るべきところを、実父であるものの帝位に就いていない興献王を父として祀りたいと言い出して駄々をこね、3年半にわたって「大礼の議」と呼ばれる大論争を巻き起こします。

この「大礼の議」は反対派の官僚を粛清しまくったりして、ほぼ嘉靖帝の望み通りに決着がつきますが、そのあたりから段々政務に嫌気がさしてきたのか道教にハマり出し、怪しげな道士が宮廷に出入りするようになったり、青詞(道教の祭文)をうまく書けるという理由でこのドラマにも登場する厳崇を抜擢したり、不老長寿の薬になるということで処女の経血でつくられた丹薬を服用したりという奇行が目立つようになります。


ドラマ中の嘉靖帝の修行シーン。はっきり言って異様です……

更にモンゴルの侵入と倭寇による略奪のいわゆる北虜南倭に悩まされる国事多難の折にも関わらず、治世の半ば頃から自ら造園させた西苑の万寿宮に引き籠もってしまい、政治を厳崇らに任せきりにして20年以上も宮廷に出て来ない始末……

一方の海瑞はそんな嘉靖帝を諫言する上奏を行った硬骨漢ですが、一般的には文化大革命の引き金となった戯曲『海瑞罷官』の題材となった人物として知られています。ですからこの海瑞が主人公となっていることで、このドラマの政治性の強さが窺われるわけなんですが(^^;)

タイトルにある1566年(嘉靖四十五年)とはこの海瑞が上奏を行った年であり、また嘉靖帝が崩御した年でありますが、ドラマの方はそれに先立つ1561年(嘉靖四十年)から始まります。というわけで前置きが長くなりましたが、今回は第1~7話まで鑑賞。

この年、朝廷では外国の商人に盛んに取引されている絹織物を増産するため、浙江省で田地を潰して桑畑へと造り替えさせる「改稲為桑」政策の実施を決定。地元民が強く反発する中で浙江省では折悪しく豪雨による大洪水が発生。政策を推進する厳崇の息子・厳世蕃はどさくさ紛れに浙江各地の堤防を決壊させ、多くの田地を水没させて再開発をやりやすいようにしようと画策。他の高官もこの政策をゴリ押ししようとしますが、そこで浙江の民衆のために立ち上がったのが、嘉靖帝の皇子裕王(後の隆慶帝)の推薦で淳安県の知県となった海瑞であるというわけです。

ドラマに則して当時の官界の状況を整理すると、張居正らをブレーンとする裕王派と、厳崇・厳世蕃親子派、そして呂芳を頂点とする宦官の3派が並び立ち、対立し合っています。しかし主役2人のほか、戚継光や張居正なんかは良いとして、その他諸々は馴染みのない面子ばっかりなんですが、却ってそういう状況に萌えています(^^;)


コメント
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