八百津町や岐阜県が申請をしていた杉原千畝の資料は、ユネスコの世界記憶遺産には登録されなかった。町や県は垂れ幕まで作ってすごく期待していただけに、失望は大きい。
しかし考えてみれば、落選したのも分かる気がする。今でこそ杉原は人権、人道の精神を実現した者として国内で賞賛されているが、彼が現役の外交官だった時代はどうだったか。ナチス・ドイツは敗戦するまで日本の同盟国であり、日本の外務省は彼の行動を全否定していたのである。日本国民も戦後しばらくは杉原の存在など知らず、無関心だった。
それが平成の世になって「日本のシンドラーと呼ばれる人がいたらしい」と噂になり、急に世間では彼が賞賛されるようになった。今になって地方政府(local government)が杉原の功績を世界遺産に、と言ったところで、確かに虫のいい話ともいえる。
なお、一部の市民団体が申請していた慰安婦に関する記録も落選したようだ。代わりに世界記憶遺産に登録されたのは、高崎にある石碑群と、朝鮮通信使に関する記録なのだそうだ。慰安婦問題など国際間で揉めそうな話は敬遠して、それよりも、どこからも文句が出そうにない朝鮮通信使の記憶を残すことによって、日韓はもっと仲良くしてね、というユネスコの計らいなのかもしれない。単に歴史資料として見れば朝鮮通信使にそれほど重要な意味があるとは思えず、私にはそういう計らいがあったようにしか見えない。
ところで朝鮮通信使といえば、本国からろくな資金を持たされていなかったせいか食料などは日本で現地調達していたそうだ。それでやむなく日本人の家から鶏を盗もうとして、町民から棒で叩かれていた、という記録もあるらしい。こうした記録も含めて、ぜひ「世界の記憶」としていただきたい。(^^)
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