無意識日記
宇多田光 word:i_
 



『人の期待に応えるだけの生き方はもうやめる』とか『約束はもうしない そんなの誰かを喜ばすためのもの』とかヒカルは歌うが、はてさてその“先”はあるのだろうか。

普通はこんなことを言った後には「我が儘に生きる」のが基本だろう。自分のやりたい事を優先させる。ヒカルにそれがあるかというと…わからないんだなこれが。

音楽家として家業を継いだ身としては、最早音楽活動は取り敢えず生きてる事と同義でしかなく、やりたいやりたくないの範疇にある概念ではない。「まず取る行動」でありやめるにはわざとらしく「休む」しかない。生業以上に生き方そのものだ。

だから「我が儘になる」と言ってもそれは音楽の話や音楽家としての話ではない。今更音楽家としての方針や態度を変えようという方が無理がある。他の、何かだ。それは、未だによくわからない。


「歌詞なんだから」と反論することもできる。それは今のヒカルの主張ではない、そういうモチーフがいいと思ったから採用しただけ、と言い張ってもいい。だが私はそうは思わない。『そんなの誰かを喜ばすためのもの』の歌い方には実感が籠もっている。本当にそう思えていない人間にあの歌い方は出来ないと思われる。

だけど、「2018年に力んで言うことなの?」とは思う。どこかで無理して僕らの期待に応えてくれていたとしてもそれを言って貰わないとわからない。そして、倒れる度に「無理すんなよ」と言い続けてきたのがこの19年だ。なんで今更『人の期待に応えるだけの生き方はもうやめる』だなんて歌ってるんだろう、と思うよ。とっくにやめとけ。

であるならば、この歌詞は新しい世代のファンの為のものなのかもしれない。昔の自分がそうであったように周囲の期待に押し潰されそうになっている子達にエールを送りたくてこう歌っているんだとすれば少しは合点がいく。ヒカルは定期的にこのモチーフをまた取り上げるのだろうか。それならそれでいいか。でも実際の生き方は是非々々無理をしないで欲しい。健康第一でござるよ。

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何度も繰り返して触れてきたように、今回のチケット購入方法、購入者である我々にさしたるメリットはない。転売を防止して価額の高騰を抑える効果がある、と言えば聞こえはいいが、高額転売が成立するのは購入者が居るからだ。その人達は、宇多田ヒカルのコンサート(のその席に)に定価以上の価値を見出している訳で…それ、何かマズいのだろうか。

寧ろ、チケットの定価が安すぎる。そう評価するべきなのではないか。つまり、ヒカルに払われるべきギャランティーが不当に低く抑えられているのだ、と。

勿論、今回も納得の上で契約しているのだろうから周りがとやかく言うことではないのだが、残念ながらこの国で貨幣制度を利用する以上市場経済の理屈にはある程度従わなければならない。高く買いたい人が居るなら高くするのが“ルール”、なのだ。

逆からいえば、例えばファンクラブを作りポイント制を導入して平時のファン活動で溜めたポイントでのみチケットを購入できることにすれば価格の高騰は起こらないだろう。“価格”ではそもそも手に入れられないからだ。そういった方法を取らないならば、円という貨幣制度を“流用”する以上その制度に従わねばならない。至極単純。

だからツアー全体の「方針」と「その方針の表明」が大事なのだ。今の若いファンの多くは宇多田ヒカルがどういった理由や思想でファンクラブを作らないかを知らないだろう。最近オフィシャルでそんな発言をする人が1人も居ないのだから当然だ。昔のスタッフダイアリーやメッセージを遡って読めと言われても過去ログを辿りにくくしておいてそれは通らない。どういうつもりなのか、都度ハッキリさせておかないと皆知らないままだよ。

前回も言った通り抽選で売買する以上落選した人に納得感を与えるのは今後の活動に対してかなり重要である。これが最後のツアーなら構わないっちゃ構わないけど、「後は野となれ山となれ」よりは「立つ鳥跡を濁さず」の方が好みだな。いや縁起でも無い。兎に角、何事も伝えなきゃ伝わらないよ。

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