盛夏。ところかまわず蝉が鳴き込めている。
72年前の夏もそうだったに違いない。沖縄戦が終結した6月23日。沖縄は「慰霊の日」。沖縄戦全戦没者追悼式が執り行われ「平和の礎」に刻銘されただけでも24万1468名。未刻銘のままの犠牲者の鎮魂がなされ、沖縄中が鎮魂と平和希求に包まれた。
この日に合わせて、沖縄県平和祈念資料館では「第27回児童・生徒の平和メッセージ」を募集。公表した。小学校生の作文2篇。読み取っていただきたい。
◇「えがおでへいわをつくろう」
*石垣市立白保小学校1年・森 心羽奈(こはな)
今日、学校で平和のお話しをきいたよ。私は平和ということばが何か分からなかったけど、少し分かったよ。それは、おうちで弟が元気いっぱい泣く声がすることかもしれないな。だって、平和じゃないと赤ちゃんは大きな声で泣いたりできないからだよ。私は弟が大好き。まだ8か月だけど、とってもかわいいよ。心羽奈のたからものだよ。
私はいつも友だちと笑ったり、自転車にのって遊んだり、ケンカをしたりするけど、ケンカしても友だちは許してくれるよ。心羽奈も「ごめんね。心羽奈もわるかったよ。また一緒に遊ぼうね」というと「いいよ。わたしこそごめんね。また仲良くしてね」というよ。世界の国も心羽奈たちみたいに「ごめんね。なかよくしよう」と言えばいいのにな。そうすれば、国と国のケンカもすぐにおわるのにな。みんなの笑顔が世界にいっぱい咲くといいな。
おとうととおかあさんが笑うと、私の心があたたかくなる。おにいちゃんと弟は心羽奈のたからもの。お友達の笑い声、先生のやさしい声。モウという牛の声。白保のみんなが笑顔になったらいいね。みんなが笑うといい気持ち。笑い声がみんなをやさしくするよ。手をつないだらもっとうれしいよ。みんなの心をえがおでつないで、へいわにしたい。みんなで笑って笑って世界を平和にしていこう。
◇「今は平和といえますか?」
*糸満南小学校6年=上原一路
今年の夏も オオゴマダラを青空に放つ
沖縄では、蝶は平和の使者
歌声にのって ふわふわと まるで戦没者と私たちをつなぐように
そして、オオゴマダラは私に問いかける
「今は平和といえますか?」
七十二年前の写真をみた。
この空から降ってくるのは 爆弾だった
軍艦で埋め尽くされた海 戦車 銃を担いだ兵士 火炎放射器 焼け野原
暗闇のガマ、人々は痩せ細り ボロボロになった服で 哀しそうな目をしていた
あの時の沖縄は何色に見えたんだろう
このまっ青な空の下 私の目の前にあるのは
避難するはずだった子どもたちが数多く眠る海
潮風が私を包み込んでいく そして時折
戦闘機やオスプレイの轟音が降ってくるのだ あの時と同じように
今度はやんばるの海と森がこわされていく
また沖縄が泣いている
波にのって打ち上がる貝がらが訴えているようだ
沖縄を守ってくれ
慰霊祭のたびに 私は平和をうたう
‟むしか てぃーちだき にげーぐとぅぬ かないらー
命失ないる戦捨てぃてぃ 世界んかい 肝がなさとぅ みるく世
くぬ願げーぐとぅぬ 叶いるまでぃ我達ぁや 歩み続きーし 止みらんどぅ~”
今年も六月二三日がやってくる
戦争でかけがえのない命を失った過去を 二度と繰り返さぬように
差別と貧困がなくなるように 世界が平和で包まれるように
平和の歌にのせて 沖縄の空をオオゴマダラが舞う
今は平和といえますか?
と問いながら
七夕。子どもたちは短冊に(願いごと)を書き‟笹の葉さらさら~”を歌った。
宜野湾市立嘉数小学校1年伊波光勇クン(7歳)は、たどたどしい、それでも力強く星に願いを託した。
「せんそうがおきませんように」。
嘉数小学校はオスプレイが発着する普天間基地にそう遠くない。
「7歳の子に‟せんそう”という言葉を使わせない世の中でなければならないのになぁ・・・」
窓を開ける。まだ太陽と蝉が勢力争いをしている。
72年前の夏もそうだったに違いない。沖縄戦が終結した6月23日。沖縄は「慰霊の日」。沖縄戦全戦没者追悼式が執り行われ「平和の礎」に刻銘されただけでも24万1468名。未刻銘のままの犠牲者の鎮魂がなされ、沖縄中が鎮魂と平和希求に包まれた。
この日に合わせて、沖縄県平和祈念資料館では「第27回児童・生徒の平和メッセージ」を募集。公表した。小学校生の作文2篇。読み取っていただきたい。
◇「えがおでへいわをつくろう」
*石垣市立白保小学校1年・森 心羽奈(こはな)
今日、学校で平和のお話しをきいたよ。私は平和ということばが何か分からなかったけど、少し分かったよ。それは、おうちで弟が元気いっぱい泣く声がすることかもしれないな。だって、平和じゃないと赤ちゃんは大きな声で泣いたりできないからだよ。私は弟が大好き。まだ8か月だけど、とってもかわいいよ。心羽奈のたからものだよ。
私はいつも友だちと笑ったり、自転車にのって遊んだり、ケンカをしたりするけど、ケンカしても友だちは許してくれるよ。心羽奈も「ごめんね。心羽奈もわるかったよ。また一緒に遊ぼうね」というと「いいよ。わたしこそごめんね。また仲良くしてね」というよ。世界の国も心羽奈たちみたいに「ごめんね。なかよくしよう」と言えばいいのにな。そうすれば、国と国のケンカもすぐにおわるのにな。みんなの笑顔が世界にいっぱい咲くといいな。
おとうととおかあさんが笑うと、私の心があたたかくなる。おにいちゃんと弟は心羽奈のたからもの。お友達の笑い声、先生のやさしい声。モウという牛の声。白保のみんなが笑顔になったらいいね。みんなが笑うといい気持ち。笑い声がみんなをやさしくするよ。手をつないだらもっとうれしいよ。みんなの心をえがおでつないで、へいわにしたい。みんなで笑って笑って世界を平和にしていこう。
◇「今は平和といえますか?」
*糸満南小学校6年=上原一路
今年の夏も オオゴマダラを青空に放つ
沖縄では、蝶は平和の使者
歌声にのって ふわふわと まるで戦没者と私たちをつなぐように
そして、オオゴマダラは私に問いかける
「今は平和といえますか?」
七十二年前の写真をみた。
この空から降ってくるのは 爆弾だった
軍艦で埋め尽くされた海 戦車 銃を担いだ兵士 火炎放射器 焼け野原
暗闇のガマ、人々は痩せ細り ボロボロになった服で 哀しそうな目をしていた
あの時の沖縄は何色に見えたんだろう
このまっ青な空の下 私の目の前にあるのは
避難するはずだった子どもたちが数多く眠る海
潮風が私を包み込んでいく そして時折
戦闘機やオスプレイの轟音が降ってくるのだ あの時と同じように
今度はやんばるの海と森がこわされていく
また沖縄が泣いている
波にのって打ち上がる貝がらが訴えているようだ
沖縄を守ってくれ
慰霊祭のたびに 私は平和をうたう
‟むしか てぃーちだき にげーぐとぅぬ かないらー
命失ないる戦捨てぃてぃ 世界んかい 肝がなさとぅ みるく世
くぬ願げーぐとぅぬ 叶いるまでぃ我達ぁや 歩み続きーし 止みらんどぅ~”
今年も六月二三日がやってくる
戦争でかけがえのない命を失った過去を 二度と繰り返さぬように
差別と貧困がなくなるように 世界が平和で包まれるように
平和の歌にのせて 沖縄の空をオオゴマダラが舞う
今は平和といえますか?
と問いながら
七夕。子どもたちは短冊に(願いごと)を書き‟笹の葉さらさら~”を歌った。
宜野湾市立嘉数小学校1年伊波光勇クン(7歳)は、たどたどしい、それでも力強く星に願いを託した。
「せんそうがおきませんように」。
嘉数小学校はオスプレイが発着する普天間基地にそう遠くない。
「7歳の子に‟せんそう”という言葉を使わせない世の中でなければならないのになぁ・・・」
窓を開ける。まだ太陽と蝉が勢力争いをしている。