8月15日(水) 15日はお盆の中日。 酷暑の最中に夜祭りを探して埼玉の美里町へ・・・。
埼玉県中部の熊谷市や美里町は連日38℃以上の猛烈な暑さ!
(翌日の16日には1933年7月25日の山形市での40.8℃を破り、熊谷市で40.9℃という日本最高気温を記録しました。)
日中の暑さを避けて午後4時前に出発し、エアコンをガンガン効かせたで美里町へ・・・。
美里町の郊外で“猪俣の百八燈”と云う有名な火祭りが開催されるのです。
百八燈と同時進行で美里町大花火大会も行われるので、会場付近を通る国道254には警備の人達がウロウロしています。
火祭り消火の消防車のあとに付いて火祭り現場の堂前山尾根へ入ることが出来ました。
無事に最高の場所に駐車して、まだ暑さの残る百八燈火祭り会場などを散歩。
会場では早くも打上げ花火の場所取りが始まっています。
堂前山尾根の中腹は下草が綺麗に刈取られ、み さ と文字のツツジ植込みが鮮やかに・・・。
堂前山尾根の上部には百八燈を灯す大きな土塚が並んでいます。
猪俣の百八燈と云うのですから、きっと108基築かれているのでしょう。
今春の“寄居・北條祭り”(ここクリック)の帰路立ち寄った時には土塚の上には何もありませんでした。 (下の画像は4月15日撮影。)
上の画像と下の画像はほぼ同じ位置で写しました。
8月15日のお盆の百八燈祭りではご覧のように急須やティーポットが載っています。
堂前山尾根沿いにカーブを描きながら一列に並んだ土塚は壮観です。
全ての土塚の上には1~2個の急須が置かれています。
猪俣百八燈では昔から付近の家の用済みの急須を貰って祭りの灯火用に使っていたそうです。
これだけの数量を集めるのには苦労した事でしょうね。
ひときわ大きな土塚(高さ3m強。)の上には白木の焚き木がピラミッド状に・・・点火を待っています。
土塚の上にどっしりと鎮座する姿はサマになっていました。
蓋は土で塗り塞がれ急須の注ぎ口には綿が詰められ、中には油が入っています。(現在は灯油、昔は菜種油など。)
火祭り“猪俣の百八燈”の本尊・猪俣小平六の墓地が近くなので見学に・・・。
国道254沿いに看板が出ています。
丘陵地に建っている「高台院」の下に猪俣小平六の墓がひっそりとありました。
猪俣小平六の墓地にも上に焚き木を載せた大きな土塚が・・・。
百八燈と同じ様に墓地でも燈が灯されるのです。
薄暗い墓地入口の巨石門柱に比べると小さな墓石です。
同じ墓石が左右に二つ。 猪俣小平六の墓は多分右の墓石かと思われました。
堂前山尾根の猪俣百八燈で供養される猪俣小平六範綱(いのまたこへいろくのりつな)は小野篂(おののたかむら)の末裔といわれ、源義朝・頼朝などに仕えて軍功多く十六騎の雄将として名高い。
また、武蔵七党の一つ猪俣党の棟梁として北武蔵地方を領有し領民の信頼を集めたと言う。
猪俣の百八燈の行事は猪俣小平六とその一党の霊を慰める為に毎年8月15日に行われ、国の重要無形民俗文化財にも指定されています。
次回は猪俣の百八燈の火祭り本番と美里町花火。
2007 08 28(火)記。 前橋市 最高気温31℃。