11月3日(金) 文化の日に流鏑馬(やぶさめ)見物。
場所は埼玉県・毛呂山町。 毛呂山町(もろやま)って何処? 仕方無しにカーナビ頼りに出掛けました。
最近のカーナビは精度が良くてピッタリ目的地の神社に8時30分到着。
杉並木の裏参道に駐車し、坂道を2分歩いて神社横に出ました。
神社の表参道には多数の露店が開店準備中。
神社の名前は“出雲伊波比神社”(いずもいわい)と云い、奈良時代の宝亀3年(772年)編纂の「延喜式神名帳」にも記されている格式ある神社です。
祭神に「出雲の天穂日命」(あめのほひのみこと)を祀っているのが神社の名の由来になっています。
この出雲伊波比神社の本殿は“一間社流造”(いっけんしゃながれづくり)で建築され、埼玉県内最古の神社です。
霊験が沢山ありそうな気配の立派な神社でした。
本殿は昭和13年に国宝に指定されましたが、昭和28年に指定見直しで重要文化財に格落ちに・・・。
出雲伊波比神社の秋の例大祭の行事として、流鏑馬が行われます。
ここの流鏑馬の起源は1063年に源頼義・義家父子が奥州平定のため伊波比神社に戦勝を祈願し、凱旋の帰路この地で流鏑馬を奉納したのが始まりです。
拝殿裏から本殿に向かって神主が厳かに祝詞を奉げていますが、後ろの日本酒が厳かな雰囲気を壊して・・・。
拝殿横では流鏑馬の鏑矢(かぶらや)が縁起物・お守りとして販売中。
でも何故か、可愛い巫女様にカメラ目線は集中。
午前9時30分からいよいよ流鏑馬の本番です。
初めに流鏑馬の矢取り役や口取り・馬勢子達が走る馬場コースを巡回。
流鏑馬の3人の乗り子が神社拝殿に参拝し、柏手(かしわで)で安全を祈願。
その後、乗馬してのお披露目があります。
乗り子(騎手)の被っている陣笠に注目!
流鏑馬は3頭走りますが、陣笠の白色は源氏、藤色は藤原、赤色は平家を表しているそうです。
最初は弓矢を持たないで軽く足慣らしで馬場を往復。
流鏑馬本番は直線の馬場を南方向から北への軽い上り坂で行われます。
陣笠から烏帽子に代えて、口には矢をくわえて猛烈なダッシュ!!
揺れる馬上で弓に矢をつがえて的(直径50cmの丸い藁座布団)に射るのです。
的にはめったに命中しません。また、次の的が直ぐ近くなので矢をつがえるのも難しく、なにせ乗り子(騎手)は小中学生ですから・・・。
3頭の馬は50m程の間隔で次々目の前をに素早く走り去り、間近で見ていると、もの凄い迫力です。
大地を蹴る馬のヒズメの振動が全身に伝わってきます。
スピードが速くて、とても一台のカメラではベストショットは撮りきれません。
午前の流鏑馬の騎射は朝的(あさまとう)と云います。矢を射るのは一回だけ。
午後の流鏑馬は夕的(ゆうまとう)と云い、2時半から行われます。
矢を射る流鏑馬の後は笞馬(むちうま)が行われました。
的場では両手を高く挙げての乗馬です。 お見事!!
この笞は紅白の布が巻かれた飾り棒で、馬にムチ打つ物ではありません。
使われた花笞は厄除け、養蚕守護、赤子の夜泣き封じ等に霊験あらたかとされています。
流鏑馬の騎射の後に乗り子の慰労のための行事の“野陣”(のじん)が設けられました。
陣幕を張った処で酒・菓子の接待で流鏑馬の労をねぎらう行事です。
流鏑馬行事終了後には乗り子と矢取り役が拝殿前で記念撮影。
大役責任を達成した乗り子の安堵感が表情に表れていました。
午前の流鏑馬・朝的の後は神社前の神楽殿での奉納神楽が続きます。
伊波比神社は武人の神社なので刀剣の舞などが演じられました。
流鏑馬馬場の脇では詩吟の奉納吟詠で、プロ詩吟師・伊藤一浄(いとういっせい)氏が熱唱。
お馴染みの七言絶句「少年易老学難成、一寸光陰不可軽。未覚池塘春草夢、階前梧葉已秋聲。」(朱子「偶成」)や「想夫恋」など朗々と吟じていました。
最後の結句「階前の梧葉すでに秋聲」は実感として心に染み入りました。
「あ~っァ、Blog作りで大切な時間を失って・・・こんな事でいいのかなぁ~」っとね。 読者の皆様は如何お過ごしでしょうか?
毛呂山町・出雲伊波比神社の流鏑馬まつり(無形民俗文化財)は一見の価値あります、
オススメできる秋祭りの一つと思います。
2006 11 07(火)記。 前橋市 朝・強いのち 強風 最高気温24℃
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