2012 12 29(土)
茨城県鹿嶋市須賀にある“塚原卜伝の墓”を訪問。
北浦近くの田園地帯の中、小高い丘陵の麓に「剣豪 塚原卜伝先生墓地 入口」の立派な石柱が立ち、背後の山裾の竹林に囲まれた場所に墓所らしき建屋が見えます。(石柱の前は無料P場になっています)
平成元年に行われた“塚原卜伝生誕500年記念祭”で整備された墓所参道(平2年3月完工)の石段を上がり墓地へ・・・。
剣聖・塚原卜伝の墓石は昔風な銅葺きの覆屋の中に在りました。
墓所の左右に立てられた石灯篭には「武徳昂揚」と刻まれ、剣に生きた卜伝の人徳を偲びます。
塚原卜伝は延徳元年(1489年)鹿島神宮神職の卜部吉川家の二男として生まれ、廻国修行し剣の道を究め、この近くの草庵で83歳の生涯を全うしました。 (平均寿命45歳ほどの時代としては極めて長命です。)
墓所には無駄を一切廃した素朴な墓石が置かれていました。
墓石には2名の戒名が刻まれ、向かって右が卜伝の戒名「寶剣高珍居士」、左に記されていたのが妻の妙(たえ)の戒名「仁直妙宥大姉」。
戒名連名の墓石ですから生前は相思相愛の仲の良い夫婦だった事が判ります。
卜伝の位牌は近くの長吉寺に納められているそうです。
その昔、この地にあった塚原家の菩提寺“梅香寺”(火災焼失)の僧侶たちの墓も敷地内に点在していました。
下中画像は吉川家に伝わる「塚原卜伝」の肖像画。 右は鹿嶋市のキャンペーンキャラクター「ぼくでん」。
墓所に掲げられた説明文。
『 剣聖 塚原卜伝の墓 塚原卜伝は、今から五百年以上前の延徳元年(1489)に常陸の国一之宮鹿島神宮の神職である卜部家吉川左京覚賢(あきかた)の二男(幼名は朝孝)として誕生、幼少の頃に沼尾の塚原城主・塚原土佐守安幹(やすもと)の養子となり、のちに元服して塚原新右衛門高幹と名乗ります。 幼少の頃から実父に鹿島の太刀、師の松本備前守に天真正伝香取神道流を学び、永正二年(1505)には、十六歳で廻国修行の旅に出て、十四年間腕を磨き、初めて真剣勝負や戦場の戦いを経験します 。 永正十五年に帰国すると、鹿島神宮に千日籠もって精神修養に励みました。やがて悟りを得た僕伝は、大永三年(1523)に二回目の廻国修行に出かけ、天文元年(1532)に戻ると塚原城主となり、妙を妻に迎えます。 しかし、短い結婚生活で妻が亡くなると、城を養子に譲り三回目の修行に出かけます。 京では、時の将軍足利義輝や伊勢の北畠具教(とものり)など多くの大名や武人に剣を教え、十一年後、鹿島に戻ります。 三回目の修行から戻った卜伝は、塚原城近くの草庵に棲み、弟子たちに剣を指南しながら、元亀二年(1571)八十三歳の生涯を閉じました。 親子が、兄弟が、血で血を争う戦国時代にあって、「剣は人を殺める道具にあらず、人を活かす道なり」(活人剣)と平和思想をもって生ぬいた卜伝を、いつしか人々は剣聖の名でたたえました。』 鹿嶋市史跡第一号 昭和四十六年十月二十日指定
塚原卜伝 ⇒ http://city.kashima.ibaraki.jp/info/detail.php?no=3391
同時代に生きたもう一人の剣聖・上泉伊勢守秀綱 ⇒ http://blog.goo.ne.jp/ttmida/e/01afe9d9bd1ec358fc3861885829363d
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