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キカクブ日誌(アーカイブ版)

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国会図書館へ

2017年08月29日 | ☆記憶


昨日半休とって国会図書館へ行った。
久しぶりに行ってみたら、かなりデジタル化されていた。まず、利用者カードを作る。資料探しはパソコン上で。利用者カードを読み取る装置の上にカードを載せるとパソコンが使用可能になる仕組み。コピーやプリントアウトの支払いはPASUMOなどの電子マネーで可能。
便利。
喫茶室で小倉バタートースト&コーヒー¥500

目的は、20年近く前に亡くなった祖父の投稿していた俳句雑誌。
そこに祖父の俳句や、その批評や、亡くなった時の追悼記事などがあるはず。予めネット上の蔵書検索で該当する巻数などは調べておいたので、すぐに見つけることができた。

知らないことがいろいろわかった。

驚いたのは、祖父が刑務所内の留置場係という獄吏のような仕事をしていたということだった。
私の知ってる祖父はいわゆる「駐在さん」だったのだけど、そういう部門にもいたのだ。そしてその時の特異な体験を俳句にしていて、それが俳人としての個性にもなっていた部分があるということ。(そういう俳句をバシバシ投稿してたら目立つのかも‥・)
それと、祖父の家に行くと鶴の写真が飾ってあったり、鹿児島の方に「鶴を見に行く」と言って出かけていたのを知ってるけど、「鶴」というのも好きなテーマだったということ。
本人が書いたと思われる略歴も載っていて、私の記憶を補強してくれた。祖父も台湾台東の大武にいた。やっぱり大武の警察官だった。


おまけ
祖父は外地にいた昭和18年(祖父30歳)に「ホトトギス」の虚子選に初めて載ったのが俳句デビュー・・・・のような書き方がしてあったのだけど、そんなに若いころから俳句をやってたとは驚き。
国会図書館で「ホトトギス」を探して、虚子選を調べてみた。これが相当な曲者で、当時のホトトギスは月刊。そして虚子選というのは読者からの投稿を片っ端から載せてあるもので、毎号数十ページに渡って掲載されているもの。その中で、一つこれかなというものを見つけたけど、俳号が全然違うし、これから検証が必要。
とりあえず載せてみる。

「風吹いて落葉帚にしたがはず 南昌 養愚子」(1943年「ホトトギス」6月号p.27)


4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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イヤー凄いこと始めたね ()
2017-08-29 16:09:43
父が俳句を始めたのは南昌時代に間違いありません。
領事館付警察官だつたのですが、そこの署長さんが俳句好きで句会をやっていたように思います。
養愚子という俳号はその人である可能性が高い。
当時のホトトギスは虛子が選をしており、厳選で知られていましたから、俳句を始めたばかりの新人が易々と入選できるような広き門ではなかったと思います。
ひろく資料に当たって、いろいろあぶりだしてください。
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礁さん (YOKO)
2017-08-29 16:23:44
養愚子は別人ですか。
萬綠の「俳歴」に「昭和18年ホトトギスの虚子選に入選」と書いてあるので、まっぐれでもとにかく入ったのでしょうけど。「南昌」というのが一人しかなかった様に思ったのですが、とにかく膨大な量なので見落としているかも。
もう一度ゆっくり時間をとってホトトギスを調べてみます。

後日雑誌のコピーを送りますね。
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愚養子という号 ()
2017-08-29 18:05:58
自分の号を考えるとき、人はなにか拠り所を求めるものです。
たとえば論語が好きな人はその中に求めるでしょうし、李白が好きな人はその詩集にという具合です。因みに虛子は本名の清をもじって子規が命名しました。
この号の持ち主は恐らく他家へ養子に入った人と想像できます。そして俳句よりも狂歌の方が得意だったのではないか。俳句の号としてはすこしそぐわないところを感じます。
ですから父の号ではないと思うのです。
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俳号 (YOKO)
2017-08-30 16:04:10
俳号というのは、自由につけられるのでしょうけど、それでもやはりその人個人がどこかに現れるものになりますね。

ところで「礁」という字の由来は何でしょうね?叔母さんの名前もこの字だし。この字に何か思い入れがあるのでしょうか?それほど海と関係が深い人とも思われませんが。やっぱり航海経験からきてるんでしょうか??
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