キカクブ日誌

熊本県八代市坂本町にある JR肥薩線「さかもと駅」2015年5月の写真です。

衆院選2017

2017年10月23日 | ☆自分のために書く話
今回の衆院選メモ。

おそらく史上最低レベルの投票率なのだろう。荒天での投票所の早じまいなどもあったらしい。まぁ、そのことで大勢に影響はなかっただろうけど。安倍さんの思惑通り(あるいはそれ以上)の結果になった。
希望の党の減速。あの党は、もしや安倍さんと密約してての「逆刺客」だったのではと思わせるほど。
土壇場旗揚げの立憲民主の躍進。どうも民意はこの辺にありそうと感じたけど、でもそこをすくっていけないのが、小選挙区制。反自民、反安倍票は見事に割れた。選挙区ごとに見ていくと、野党への票の合計は確実に自民よりも多く、一本化できていれば自民は勝てなかったはず。この民意を反映できない選挙制度がもどかしい。小選挙区制とは二大政党制が確立してこそ活きる選挙制度なのだと痛感する。この状態では、民意が切り捨てられるのでは?「小選挙区制導入」問題が取りざたされていたころには全くこういうこと思い至らなかった。 
これで、改憲の動きは加速されるだろう。
この期に及び、改悪させないためにはどう監督すればよいのだろうか?




最近考えている「フィクション」の重要性。
先日、ある英文学者と食事した際、「大学の文学が人類にどう役に立つか」について話題にして、その時に示唆されたのが、文学は「フィクション」の存在とその扱い方を学ぶ学問だ。ということ。

非常になるほどと納得させられた。この選挙にしても、投票行動には「フィクション」が大きくかかわっている。人々は、真実やデータや統計や論理的思考の中から投票先を決めるのではなく、候補者の語る「物語」に対して投票をすることが多いのではないか?



それと最近、壬申の乱前後の日本について関心あり、日本書紀や古事記の編纂が、その後の日本にもたらした多大な効果についても考察している。「なぜ天皇制は無くならないのだろうか?」というテーマを考えて、やはりそこのこたえは「日本書紀」や「古事記」の編纂までさかのぼるんじゃないかと思った。天皇が素晴らしいひとだとか、尊敬できるとかそういうことではなくて「そういうものだから」という壮大なフィクションが心の中に植え付けられているから、だから敬う気持ちになる。その敬う気持ちをなんとなく抱く人々が日本と言う国にまとまっているのかもしれない。

「フィクション」とは得体が知れず、扱いがとても難しいもの。そしてそれをうまく使えるものが世界を統べることができるのかも。文学部や文系学部を切り捨てるのは、為政者にとって都合がいいのかもというのはあながちうがち過ぎでもないのか。



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