キカクブ日誌

熊本県八代市坂本町にある JR肥薩線「さかもと駅」2015年5月の写真です。

パデイ7 現地発詳細記事

2016年10月24日 |   └─POPS韓国
韓国のコンシューマータイムズというサイトにあった記事。

これはコンサートに最初から最後までいた人じゃなきゃかけない記事と思われます。私が全く聞き取れていなかったMCの内容なんかも書いてあるので、自分のために意訳したものをこちらに載せておきます。訳は正確ではありません。最初は機械翻訳にかけて、そのあと日本語として不自然なところをかなり省略したり意訳したりしています・・。


イ・スンファンはこの日「パデイ7」の中で、「オンリーバラード」というコンセプトで進行されていた第1部の16曲目に「私のお母さん」を歌った。「私のお母さん」は1993年に発売された正規アルバム第3集「マイ ストーリー(My Story)」の収録曲で、亡くなったお母さんに捧げる内容だ。 母親が亡くなった後周辺が変わり、これによって孤独で弱い自分は大変だと不平を並べながらも「これであなたの強い息子になることができる」と約束する内容の歌詞を含んでいる。
イ・スンファンは「私のお母さん」の序盤から音程が明確に揺れ始めた。 曲に感情移入しすぎたためだった。 喉がつまり、曲の完唱が不可能な状態だったが、そのまま最後まで歌った。その難しい状況でも歌い続けたため、すぐに観客は拍手で励ました。この歌に感情移入したのか涙を流す観客もいた。

「私のお母さん」が終わるとすぐ、イ・スンファンは進行をしばらく中断してほしいという合図をスタッフに送った。 舞台が暗転し、感情を取りまとめた後、次の曲を歌い始めた。 その間わずか15秒にならなかった。プロらしくいちはやく感情を収拾して、高い歌唱を要求する「哀願」を完全に消化して大きい拍手を受けた。
「哀願」を歌った後「『私のお母さん』は本来 パデイ7で歌う予定ではなかった。セットリストを組んでみた時に「彼が彼女に会った時」が重複していたので、『私のお母さん』を入れたのだった。しかし選曲ミスだった」として不安な姿を見せて申し訳ないと謝った。 しかし観客はもっと大きい拍手を送った。
公演後イ・スンファンはフェイスブックを通じて「第1部で歌ったある曲のために突然喉がかれてしまった。公演途中、スタッフリーダーがメッセンジャーで心配してくれたし、私も急きょ曲目を見直した。 この公演が失敗するかもしれないと、私を含むすべてのスタッフが緊張した」とその時のことを振り返ったが、「ところで結果は..! 私も自分の喉が理解できない。 どうしてこんな喉になったのか? 切実に望んだから宇宙が立ち上がって助けたか」としらじらしくジョークを飛ばした。

イ・スンファンはこの日‘パデイ7’を成功裏に終えた。 8日午後4時頃始まった公演は翌日である9日午前1時50分頃終了した。 休憩二回を除いてドリームファクトリー側で測定した純粋公演時間は8時間27分35.56秒で、これは昨年‘パデイ-26年’公演で本人が樹立した国内アーティスト単独公演時間記録である6時間21分27秒記録をはるかに越えた。


イ・スンファンはこの日長時間公演である‘パデイ7’を準備する過程を説明して「声が出て、まだ走れるのに保身を図ることは無いようにする。 観客のことも心配だが、自分のできる限りあらゆる突発事態に備えて公演会場の前に救急車も待機させた」と覚悟を表わした。
「パデイは長時間の公演だ。観客は昨年の『パデイ-26年』の記録を越えて7時間公演をするという死地に私を追い込んだ」と冗談を投げて「皆も7時間を一緒にやれると蛮勇を振るったので覚悟しなさい。 私も覚悟はできている。 いつも高い水準の公演を見せてきたのだから」と変わった目つきを見せた。

そして、「今年やはり年末公演をやります」と予告して観客を喜ばせた。 当初イ・スンファンは今年に入って何回も今年は年末公演をしないという立場を明らかにしてきた。 しかしこの日「パデイ7」で今年の年末公演計画を公式に発表した。
「今年の年末公演は『オンリーバラード』をさらにアップグレードさせた公演だ。 大衆が好きなバラードで構成される。 「弾けて駆ける」公演と違いヒット曲をたくさん聞くことができ、すべすべした顔で家に帰ることができる」と今年の年末公演のコンセプトを明らかにした。 今回の「パデイ7」をネット中継を、第1部を除いて第2部と第3部だけにしたのは視聴者の集中度をそがないためだったが、この日 第1部が年末公演のコンセプトと一部重なるためであるとも話した。
「音楽と公演に投資は絶対に惜しまないつもりだ。 公演にたくさん来てほしい。 公演で得る収益はすべて音楽と公演に戻る。 ドリームファクトリーは『ピン撥ねをしない』ということを知りませんか?」と尋ねて大きな拍手を受けた。


なぜこういう高度な体力と精神力を要する長時間の公演「パデイ」を再度行うのかという質問をたくさん受けたとして「昨年‘パデイ-26年’が終わった後の喜びが忘れられなかった。 バンドは仰天したが、いつかは.. 100曲? そんな公演もしてみたい」と明らかにした。
「来年は9月頃に‘パデイ’を開きたい。 今度の‘パデイ’コンセプトはまさに‘イ・スンファン フェスティバル’だ”として公演会場内大型スクリーンに他の音楽フェスのように作られたタイムテーブルを写した。
まだ構想中でるとはいえ当惑するほどのタイムテーブルを見てみると、午後1時から午後1時40分まで40分間出演者イ・スンファン、午後2時から午後2時50分まで50分間出演者イ・スンファン、午後3時10分から午後4時まで50分間出演者イ・スンファンで‘前半戦’が終わる。 引き続き午後4時20分から午後5時まで40分間はゲストの公演が続く。
後半に入った午後5時20分から午後6時30分まで1時間10分の間出演者イ・スンファン、午後6時50分から午後8時10分まで1時間20分の間出演者イ・スンファン、午後8時30分から午後9時55分まで1時間25分の間出演者イ・スンファンで、初めから最後までイ・スンファンで満たされた公演だ。

このタイムテーブルのとおりに公演がなされる場合、イ・スンファンが出演する時間は合計375分、6時間15分に達する。 もちろん先に述べたようにまだ構想段階のタイムテーブルだ。
「‘フェスティバル’らしく気楽にゴザでも敷いて遊ぼう。 私を見るために前列を死守していないで、歩き回って楽しんでほしい。そばに別のステージを作って後輩ミュージシャンも出演して、観客も行ったり来たりしてフードコートでご飯も食べるなど公演を 楽しむ ことができるフェスティバルになるだろう」と構想中の計画を公開した。
「まぁまだ計画だけですけどね。 こういう行事に関心があるフードコートや企業からの連絡を待っています。 ‘イ・スンファン フェスティバル’でない他の名前のフェスティバルに公演名を変更することもできますよ」としらじらしく話した。
しかし、まもなく目つきが変わって「私の名をつけたフェスティバルだけに他のどんなフェスティバルにも負けないものにする自信がある。まだ計画中だが必ず成功させたい」と抱負を表わした。


最初の強制召喚対象者は、キムグヮンジン。
「パデイ7」9番目の曲を歌う前、「次に歌う歌は親しい間柄のキムグヮンジンが作曲した曲。多くの人たちが好きな歌だ。 しかし、キムグヮンジンが作曲した曲なので、大きな愛情はない。 私は事実その次に歌う曲にもっと愛情がある。 私が作曲したものだから。」とジョークを飛ばして、観客を爆笑させた。 さらに、カメラに向けて「キムグヮンジン、見ているのか?」と挑発してもっと大きな笑いをもたらした。こんなふうに‘ディス’ってはいるが、実際は二人は仲がいいと知られている。 イ・スンファンはキム・グァンジンの「ザ・クラシック」というアルバムを製作したし、キム・グァンジンはイ・スンファンの「ダンクシュート」、「私に」等を作曲するなど音楽的交流が活発だった。 イ・スンファンは「ザ・クラシック」再結成コンサートにも出演した。 当時キム・グァンジンは「自分たちだけでは潰れそうだったがイ・スンファンが助けになってくれた。 自分たちでは公演の細かな部分まで気を遣えないのに、彼が本当にアイディアが多くて助けてくれた」と謝意を表わした。

キムグヮンジンはこれに先立って、イ・スンファンについて「私が再び音楽生活を開始するようになった決定的な影響を与えた人」とし、「私の自伝的な歌である『ダンクシュート』も、よく知られた『私に』も、実はイ・スンファンが作曲にも参加したが、いずれも作曲者を私の名前にしてくれた。 この二つの歌が同時にヒットしてから私が作曲家として名前が出るようになった」と明らかにした。9曲目でキム・グァンジンが作曲した「彼が彼女に会った時」を甘美に歌った。 引き続き「彼が彼女に会った時」より愛情があるという、本人が作曲した「私が望む私」を淡々と歌って感動を与えた。

二番目の強制召還対象者は後輩歌手のチョン・ジュンイルだった。 イ・スンファンは最近発売した新曲‘ただみなサヨナラ’のことについてチョン・ジュンイルに言及した。
新曲‘ただみなサヨナラ’が思ったよりも売れていないことのを惜しんで「自分の周辺の評判は良かった。 特に後輩チョン・ジュンイルは『兄さん、大ヒットですよ!』として売上チャート30位圏に入ると大言壮語したので賭けをしたんだ。賭けの内容は残忍で詳しく話せないが..」と話した。
「ご存じのようにこの曲はチャートでそれだけの成績は出せなかった。 それでチョン・ジュンイルに賭けの話をしたんだが、それには触れずに『兄さん、今日のコンサートがんばってください』とか別のことばかりならべている」と明らかにして笑いを誘った。
そして「チョン・ジュンイル親指切断角※、チョン・ジュンイル見ているか?」という言葉でチョン・ジュンイルとイ・スンファンのぞっとする賭けの内容が何だったのか推察させた。
チョン・ジュンイルとイ・スンファンは過去MBC黄金漁場-ラジオスターで共演をして公演にも互いに助け合うなど関係を継続している。 「チョン・ジュンイルは歌が上手だということより音楽的な全体の森を見るミュージシャン。考えたことを音楽で表現するのが難しいが、チョン・ジュンイルはそれをする」と絶賛した。

最後の強制召還対象者は「ドリームファクトリーの叔父と姪」の間柄で知られるパク・シネであった。 パク・シネはイ・スンファンと年齢差を跳び越えた厚い友情を自慢している。
「 パク・シネが昨年に続き今回も非常に来たがった」と明らかにした。 パク・シネは昨年6時間21分に達する長時間公演である‘パデイ-26年’の時、2階客席でファンたちも認める程楽しく公演を楽しんだ。 イ・スンファンは‘パデイ-26年’公演中「本来公演に招待券がないのだがパク・シネが非常に来たがったので特別にパク・シネにだけ招待券を与えた。 ファンたちの了解を求める」と案内することもした。 もちろんファンたちは全部拍手と歓呼で答えた。
しかしイ・スンファンは「今年の‘パデイ7’は招待券も、不法チケットもない公演だ。 それで昨年のようにパク・シネに招待券を与えられなかった。 キム・ヨンナン法がどのように適用されるかも知れなくて。それで悩んで公演2~3日前パク・シネに‘君が私の公演に出演をするならば大丈夫でないだろうか’提案した」と話した。

イ・スンファンが提案した内容はパク・シネのダンス。パク・シネは2003年イ・スンファン‘終末’コンサートで激烈なダンスを披露した。 当時ドリームファクトリー所属子役だったパク・シネはイ・スンファンの‘踊り風’の中間に登場、ヘッドバングを含んだパワフルなダンス舞台で観客を放心させた。 この時の姿はオンラインでも大きな話題になった。
「パク・シネに‘パデイ7’でもそのような舞台を整えることができないかと思ったが、パク・シネが‘叔父さん、もう体が以前とは違います’と答えた」と話した。引き続きイ・スンファンは「それでもシネさん、家でネイバーVライブで見ているでしょう。 パク・シネ、見ているか?」と言及して温かい雰囲気を作った。



イ・スンファンは、ファンに対して愛想がないという評判だ。 ある程度の線を超えないことを重要視している。 「私を自分の所有だと思っているファンもいる。 ファンだからといって全部良いわけではないと思う。 変なファンたちもすごく多い」などためらわずに言う。よっぽどでなければ、ファンたちも分かってイスンファンとの距離4mを維持するという冗談があるだろうか。
そんな彼もたまにはファンに対して警戒を緩めて本音を打ち明けるときがある。 それが「非常にたまに」であってもファンを瞬時にとかすのが、妙なイ・スンファンの魅力だ。

昨年‘パデイ-26年’でイ・スンファンはそのようなファンたちとの距離を狭めるコメントをたくさんした。 「今日は顔が全部見えますね」とい言ったり‘三つ願い’を歌う間拍子を間違えても「興がわいてそう」、「ムロボンダ」を歌いながら「我々のパたち、我々のDF民たち」と叫んだ。 「家族」の最後には歌で自身の心を伝えるはずだったのに最後のところの 「愛してます」を恥ずかしがって代わりに歌ってくれと言った、結局「指ハート」を始まりにファンたちに「3段ハート」を飛ばした。
絶頂は「優しい私の友人」を歌った時だった。 歌の前にファンの1人が「愛してます!」と叫ぶとすぐに「ありがとう、優しい私の友人」とシックに答えたイ・スンファンは曲が終わる頃「私も愛してます」と話して、ファンたちは耳を疑った。 公演によく通うファンたちも聞くのが難しかった話だ。 もちろん後でイ・スンファンは“ハイテンションになりすぎた”と後悔するような発言で笑ったが。
「パデイ」はイ・スンファンが少しずつファンたちに心を開いて近付くことが明確に見える公演だ。 長時間なのはもちろん、彼に合わせ上方修正されたチケット価格などを考慮すれば‘パデイ’はイ・スンファンの単純な‘ファン’でなくマニア的なファンたちを指し示す‘パ’らとの空間なので、スキンシップが増えるのだと思われる。

今年の‘パデイ7’でもそのような瞬間があった。
この日イ・スンファンは先立って発表した‘10億光年の信号’や最近発表した新曲‘ただみなアンニョン’を含んだ「Fall to Fly-後」アルバムに対して言及した。イ・スンファンは「人々は私がどんな音楽をしても関心がないということを知った。 私がどんな話をするかにばかり関心がある、しかし、私のファンは分かるんだ。 私はいつも進化しているということを」と切り出した。
「音源やアルバムが初めて出る日はいつも緊張してドキドキする。 しかし、最近はチャートで光脱(光速脱落、チャート順位圏から取り残されること)しても、1日ぐらい憂鬱なだけだ。 大きな期待がないので。そこで考えた。 私がどんな音楽をしても世間は関心がないのなら、他と同じような音楽をしないでもう少し別の、一際洗練された音楽をしたらいい」と予告した。「私が進化しているということを皆さんが知っているので、それで良い」とし、感謝の気持ちを伝えた。
以後イ・スンファンは社会懸案に対する考えを話して雰囲気が硬直すると思うとすぐに「大丈夫、笑って。とても抑圧されていますね」と話して雰囲気を解いた。
「多分私の音楽が好きな方々はある程度は私の考え、あるいは人生の方向を応援したり、微弱だけれど志を同じくしてるのではないかと思う。 それで多くの力をもらう。私が事実皆さんを‘百’信じてこういう話するのでなければどうでしょうか”として拍手を受けた。
引き続き「狂牛病問題当時が思い出される。 ‘背後’が誰なのか明らかにしろといった誰かの言葉が」として「私の背後は皆さんで皆さんの背後もまた、私です」と話して大きい歓呼を呼びおこした。
最後にイ・スンファンは「心から皆さんの人生と夢を真に応援します。 なぜなら私のファンだから、私側であるから」という話をしてファンたちを感動させた。

この日‘パデイ7’公演はインターミッションなどを除いた純粋公演時間だけ何と8時間27分35.56秒を記録した。 国内アーティスト単独公演には最長時間記録. 8日午後4時に始めた公演は日を渡して9日午前1時50分に終わった。 だが、公演が終った後外に出てきたファンたちはみな「もっと遊びたかった」を連発した。
長時間の公演だったがファンたちはかえって尻上がりにさらに熱狂して公演会場に居続けた。 イ・スンファンが単に時間だけに執着するのではなく、8時間27分余を飛び回り遊び続けることができる「ござ」はすなわち「パ」らだった。 イ・スンファンがなぜ唯一「パデイ」で「ハイ テンション」になるのか推察できる部分だ。 このような素敵なファンたちを置いてどうして興奮できないことがあろうか。 それによってファンたちが分かっていたイ・スンファンの姿とまた他のイ・スンファンの姿を見ることができた公演、まさに‘パデイ’であった。 8時間27分は‘誰かの7時間’よりはるかに意味ある、言葉や文章で説明するのが難しい、イ・スンファンと‘トゥペンミン’らのそのしっかりした何かを証明した時間だった。

8時間27分を「残酷だった」ファンたちはもう「善良に」生きる準備中だ。 大記録を作成したイ・スンファンはわずか一週間後に「善良に生きよう-言中有曲」を開催、本人が最も愛するという公演場に帰って来る。 収益金を韓国白血病児財団に全額寄付してきている国内最長慈善公演「善良に生きよう」は10月15日、ソウルオリンピック公園88号水辺ステージで開かれる。 16番目の「善良に生きよう」には柳時敏(ユ・シミン)作家と漫画家カンプル、チュ・ジンウ記者、クヒョンモ学生のゲスト出演が決まっている。

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