昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

エッセイ(105)大衆と国士

2011-12-31 07:08:47 | エッセイ
 政権与党内から反対を表明して9人もの離党者が出る中、年内には難しいと見られていた「消費税を引き上げることを柱とする社会保障と税の一体改革の原案」が、昨日ぎりぎりでまとめられた。
 野田総理は「非常に大きな前進だった」と強調した。
 もし反対者の勢いに腰砕けになって年を越すようなことになっていたら、野田政権の命運は尽きていただろう。
 大衆に迎合した鳩山氏や菅氏に比べれば、野田総理は国士として土俵際で踏ん張ったということだろうか。  
 <国士>「一身をかえりみず、国家のことを心配して行動する人物」が、民主党の中にもいたということを示した。

 だいたい、民主党は選挙で大衆に迎合するマニフェストを掲げて政権を奪取した。
 (単に、自民党政権が長過ぎて腐敗していたからここらで変えてみようかという選挙民も多かったと思うが) 
 今回離党した連中の反対理由は「マニフェストを約束して当選したが、ことごとくほごにされて立つ瀬がない。うそつきと呼ばれたくない」ということのようだ。
 しかし、そんなことは今更ではない。
 高速道路は無料化します、から始まって、沖縄基地は最低でも県外移設とか、子ども手当とか、大衆にとっておいしいマニフェストは、民主党が政権に着くや否や、なし崩しに放棄されていった。
 それほど、具体策のない看板だけの代物だったのだ。
 
 それが、ここへ来て多数の離党者を生むことになったのは、<消費税を上げる>という選挙に決定的なダメージを与える問題が提起されたからなのだ。
 離党した議員たちは「消費税によらない、別なやり方がある」と主張しているが、その具体的な中身が見えてこない。
 我々には「御身大切で、選挙が心配なんだろう」というイメージしか浮かんでこない。

 1000兆円を超えるという世界最大規模の借金をかかえる我が国が、このままでは増え続ける社会保障費を賄えるわけがない。
 景気をよくすればというが、そう簡単にはいかない。
 それで先進国の例に倣って消費税に依存するということになるのだ。

 社会保障負担率と租税負担率を合算して、国民所得比でみると、我が国の38,8%に対して、ドイツが52%、フランスが61,1%で我が国は低い。
 カバーすべき消費税(付加価値税)を見ると、高福祉国、デンマーク、スエーデン、ノルウエーの25%はともかく、ドイツ19%、フランス19.5%、イギリスやイタリアは20%と軒並み高い。
 とりあえず我が国も10%ぐらいはやむを得ないのでは。

 たしかに我々大衆にとって消費税を上げられるのはつらい。
 しかし、当面の大衆受けだけで国家運営は出来ない。
 問題を先送りしてギリシャやイタリアのようになってからでは遅い。

 身近な例でも「周辺自治体へのゴミの委託費用の増加分について<無駄遣い>と指摘して当選した小金井市の市長が、政権に就いた途端、この発言が周辺自治体の反発を招き<ゴミ処理>が解決できず、辞任に至った例がある。

 大衆は甘い言葉には弱い。だから甘いマニフェストで当選することはできる。
 しかし、国家運営はそういうポピュリストには無理だ。
 政治家に国士が期待される所以である。
 


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