昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

エッセイ(102)慰安婦の銅像

2011-12-18 04:50:33 | エッセイ
 韓国の日本大使館の前に、慰安婦の銅像が立てられたという。
 このニュースを見て思った。
 日本にとって屈辱的と言うより、韓国の方がむしろ卑屈のシンボルのように感じないのだろうか、と。
 歴史に学べという観点から見ると、<慰安婦問題>は日本特有のものというより、型の差はあれ、人類世界史における恥ずかしい一面であることは間違いない。

 この銅像を見て、人は過去の日本の浅はかさと同時に、力の支配する世界史の中での韓国の悲しい歴史を思ってしまう。
 日本に訴えかけたいというなら、むしろ今や日本を席巻している韓国文化の象徴、ペ・ヨンジュンやK-POPの代表KARAの銅像でも立てて「どうだ!」と見返す方がいいのでは。 

 人類は力で支配する先進国に学び、真似ながら文明を進化させてきた。
 恥ずかしい過去を反省するより、今の中国のように、列強の<力の支配>をなぞった昔の日本帝国の覇権的行動を真似て前進しようとする。
 
 そうやって競い合った人類は今や<国際政治問題>や<経済問題>で岐路に立たされている。
 つまり人類は、<力の論理>でことを運ぶことの是非が問われているのだ。
 その意味では<慰安婦の銅像>は人類の恥ずべき象徴であって、むしろ国連ビルの前にでも立てたらどうだろう。