東日本大震災から10年を迎えました。
犠牲となられました方々とそのご遺族に哀悼の意を表するとともに、被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
発災からおよそ2ヶ月後、陸前高田市に。ご遺族の手がかりを探している方から当時の状況をお聞きしました。
その帰りに役場ごと避難を余儀なくされた浪江町二本松支所に立ち寄りました。
馬場町長に被災地に洗濯機を送りたいとの町田市民の声を直接届けるとともに、浪江町から町田市内で避難生活をされている方々の状況を伝えました。
自然災害の脅威、自分に何ができるのかなど、様々なおもいを巡らせながら町田まで帰りました。
町田市の団地には、被災者が避難をしてきていました。特に、山崎団地に来られた方とは度々連絡をとるようになりました。ちょうど、就学前や学齢期のお子さんのいる家庭が多く、保育園や小学校のことなどで心配していることなどをうかがいました。町田市に来る前に、他の自治体に一端避難してから町田市に来た家族もありました。他の自治体で住民票がないことから保育所の利用を断られた方もいました。町田市は保育園で、被災者全員を受け入れました。当時の保育所担当の課長は、女性の方でしたがその決断と早い対応にとても感謝しています。小学校の校長とも連携しながら、子どもたちのことを確認しあいました。
避難者の相談を受ける中、元々の被災地の役所、中でも浪江町に連絡をとるため何度かファックスを入れいたところ、役所から連絡が来て連絡が取れるようになりました。主な相談は、住民票をどうすべきかとのことでした。避難した先に、住民票を移した人もいれば、もとの住所のままの人もいます。特に、原発の被災についての補償が心配なことからだったと記憶しています。
こうした被災地とのやりとりなどをしていくうちに、被災地で洗濯機がなくて手洗いをしているテレビ映像を見た町田市民の方から被災地に洗濯機を送りたいとの申し出がありました。支援したいと公的な枠組みにつたえても、数が足りないと押し返されたとのこと。そこで、即座に浪江町に連絡をしたところ何台でもいいからほしいといわれ、洗濯機を家電販売店に頼み10台程送ることになりました。それが前段の浪江町二本松支所に行った経緯です。
この10年、災害は地震、豪雨、また、現状のコロナと続き、災害がいつ来るかというより災害と災害の間に日常があるとの生活となったと感じています。議会も役所も、常に、この対応に向き合ってきました。首都直下型地震や豪雨災害への対応に向けて、市は地域防災経計画を修正して取り組みますが、高齢者や障がい者など災害弱者の避難に体制の整備には、地域の福祉や住民組織による支援体制が求められ、個別の避難計画を策定していく必要があり、それに対する理解も必要です。
自然災害の脅威に立ち向かうには、これまで以上に地域レベルでのコミュニティの充実が求められます。こうした課題に立ち向かう自治会や町内会をはじめとした地域での顔の見える関係づくりに尽力される皆さんとしっかり連携をしていきたいと思います。